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共通の話題から始まる関係性について

またまた職場での話をする。職場の話ばかりしてそんなに仕事が好きなのか?と思われそうだが、そんなことはない。

思うところが色々あるので、こうして記事にしているだけだ。会社では自分の意見を中々オープンにしないので、文章にすることで見えてくるものもある。思っていることは、大した内容でなければすぐに忘れてしまう。

僕の会社では以前から、普段関わりがない人たちとコミュニケーションを図る一貫として、趣味などについて数人のランダムなグループで話をするというよくわからない試みをやっている。

おそらく、交流を深めて仕事がスムーズにいくように、との思惑なのだろうが、果たしてどこまで効果があるのか疑問が残るところだ。

少し前にコミュニケーションの記事を書いており、職場でのコミュニケーションについては大体そこで述べている。

何回か体験してきて、僕は特に効果はないと初回で感じた。普段関わらない人とはその後も用事がなければ関わらないからな。

年に数回の頻度で、1回2時間程度のミーティングが行われる。事前にテーマが設定されていて、それについて日頃、業務上の関りがある人・ない人、入り乱れて話し合う。面白いのか、これ? 

気を遣わなくていい人に対しては、取り組みが無くてもおそらく気軽に話せる。気を遣う人に対しては、多少の取り組みをしても結局何かしらの気を遣う。これは慣れの問題だと思うので単純接触効果だけでも解決しそうなんだよな。

僕の場合は、何か仕事での質問があれば、関わったことがある人で話しかけやすい人に質問をする。もちろん、聞く相手が誰でもいい場合の話だ。仕事だと、嫌いだろうが苦手だろうがやり取りをしなければならない場合が多々ある。

第一印象がなんか苦手だと感じた人は、その後長い間苦手だと感じ続けることになる気がする。

会社としては気軽な感じでコミュニケーションをとって欲しいとのことだが、与えられたものに対してさあどうぞと言われても特に食指が動かない。

共通の話題があれば、確かに初対面の相手との話のとっかかりとしてはいい。でも、それだけだ。

考えてみてほしい。映画がテーマだとして好きな映画について話したとする。その映画は確かに面白いかもしれない。しかし、話している人間が面白いのかは中々伝わりづらいのではないか。あくまでテーマは補助的なもので人間が主のはずだ。それも結局、仕事、業務効率向上のためといったものに過ぎない上、業務中でのミーティングなので個人個人のよさはわかりづらい。

これは別の記事で書こうと考えているが、たとえ好きなものであっても多くを語らないことが美学だ、と僕は思う。

日常での何気ない一言や考え方、そんな中で不意に見せる面白さ、これが僕が求めている人間関係につながる面白さなので、予めテーマが決まっているものにはなんら関心がない。

文は人なりという言い回しがあるように、文章にはその人の特徴がかなり出る。

noteに書いているような記事を、筆者がわからないように匿名で集めて、自分が気に入った記事を書いた人たちと話をする。

このような内容であれば、もっと面白そうだとは感じている。


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