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生きて欲しい理由は自分勝手

家族に自死を選んだ人がいる、残された家族は、
その亡くなった家族の事を
今、どう思っているのだろう。

なぜ死を選んだのか。
どうすれば死なずにすんだのか。
疑問ばかりが浮かぶ人もいるだろうし、
亡くなった人を責めるような気持になる人もいるかもしれない。

20年以上前に兄を自死により亡くした私は、今、
兄の死を受け入れ尊重している。
以前はよく(生きていたらなぁ)と考えたものだが、そう考え続ける事は
彼が選んだことを否定し続けているようなものだ思うようになったのだ。
同時に、
死を思いとどまらせることができなかった自分も責め続ける事になり、
苦しいのだ。

死を選ぶほどに、生きている事が苦しかったのだ。
その人がやっと楽になったのだから、それを受け入れる事が、
今できる唯一の事なのだ。
助ける事ができたはず、なんて、
自分はどれだけの人間なのだろうと思う。
おこがましいというものだ。

すでに死んでしまったという事実は受け入れ、尊重する。
しかし今ある命を亡くすことを良しとしているわけではない。
どうか生きて欲しいと思っている。
思ってはいるが、
生きている事がどうしても辛く苦しい人に向かって、
生きていればいい事があるから、と軽々しくは言えない。
あの時の兄が死なずに生きていたら、絶対幸せになっていたはず、と、
はっきり言い切れる自信もない。
ただ言えることは、
兄が亡くなった時に味わった深い悲しみと喪失感や罪悪感を、
遺族や友人たちは味わわずに済む、ということだ。
これもまたなんて自分勝手なことだろう。
私たちがとても悲しむから死ぬな、と言うことである。

だから「どうせ俺が(私が)死んだって誰も悲しまない」は、
考えなくていい。
それは死を選ぶ理由にはならないとはっきり言っておく。

毎年毎年自殺者の数字だけ見ても悲しい気持ちになるのだから、
身近にいる人が平気なはずがないのだ。


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