人を赦し、自分を赦す。

今私が苦しんでいること、直面している課題についてジャーナリングしたので、共有できればと思い、ここに記します。原文ママ。


人をゆるす。知性のない人も、想像力に欠ける人も大嫌い。だけどゆるす。どうやって?
「ああ、この人はこういう人なんだ」それでおわり。それ以上、それ以下の感想・感情をもたない。期待しない。受け入れる。
ムカつくけど、怒ってしまうけど、馬鹿にしてしまうけど、口には出さない。言葉に出さない。グッとこらえる。
「この人は、そういう人だから、しょうがない。誰(だあれ)もわるくない。」そう思う。

人はみな違う。それが当たり前。知性がある人、ない人。想像力がある人、ない人。十人十色。私が頑張ってどうにかなることじゃない。私の「課題」ではない。というか、誰の課題でもない。社会とは、世界とは、そういうもの。

『辛いのは、今あなたが熟しているその過程だから』この言葉が救い。私が今辛いのは、人間として熟していく途中だから。良かった、私、成長できてる。
辛いけれど、これは私が目指す「真に優しい人間」になるために必要な時間なんだと思って、忍び耐えよう。楽しく、忍耐しよう。それが人生なのかもしれない。

自分をゆるせるのに人はゆるせないなんて、そんなのダメだ。人をゆるしてこそ、本当の意味で、私は自分を許せる。のだと思う。

「ダメなところ」は誰にでもあり、それは一人一人ちがう。その事実を淡々と、感情抜きに認めること、それこそが本当に「救い」であると私は思う。

まだまだ私は「俗物」だ。くだらない人間だ。だからこそ「修行」をするのだ。事実を事実として、ありのままにうけいれること。一見簡単そうだが難しい。非常に単純なことなのだが、これを出来れば、自分も楽だし、人も幸せ。そう思う。せめて私は、私だけでもそうありたい。

お読みいただき、ありがとうございました✨

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