見出し画像

箱の中にある夢

誕生日を迎えた。
ぴちぴちのセクシープリティー23歳爆誕である。

私はいつまで経っても学生気分でいるし、雪国に住んでいながら毎年初雪を懲りずに喜んでいたので、誕生日に関しても幾つになってもソワソワウキウキできると思っていたが、悲しい哉、年々誕生日への意識は希薄になるようだ。

高校生の時は日付が変わる瞬間まで起きて友達からの連絡を心待ちにしていたり、大学生の時は誕生日付近に遊びに誘われるといつサプライズをされるのだろうとキョロついたりしていた。

しかし今年は前日夜23時には床につき、朝出社してもデスクの上にお菓子の山はなかった。そういえば去年も誕生日当日、曜日固定の書店バイトで代わりの人を見つけるのを忘れてシフトに入りせっせと働いていた。12回目の誕生日、16回目の誕生日、20回目の誕生日、23回目の誕生日、希少性がどんどん逓減している。

学生だった友人たちも多くは社会人になり、それぞれの生活があり、12時ちょうどにぽよんぽよんと忙しなく通知音を鳴らしてくれていた携帯も昨晩は静かだったようだ。(留年して公認会計士を目指していて音沙汰少なかった友人が意外にも12時にいちばん最初にLINEをくれた)(うれしい)



ただ、人呼んで永遠の浮かれポンチである私は、その名に恥じぬよう仕事を早く終わらせ、せめてもの祝いにオフィスの地下にあるケーキ屋さんに寄った。

ケーキ屋さんのケーキ、何もない日に買って食べたっていいんだろうけれど、その貴重さに怖気付いてしまいなかなか手が出せない。だがそこは誕生日の私である。勇ましくショーケースの前に歩み、仁王立ちしてきらきらと光るタルトたちと睨めっこをする。



えっこんなに美味しそうだっけケーキって
すごいんだけど


真っ赤ないちごと艶々した桃を見比べて突っ立っていると、ショーケースの向こう側にいたお姉さんがこちら側まで出てきてくれて、にこにこと私を見つめる。

「今は期間限定の桃のタルトがおすすめですよ」

お姉さんの笑顔にイチコロである。えへぇ迷いますねと情けない声を出したが、もうそんなこと言われたら桃と目が合ってしまって視線を逸らせない。



1ピース1180円のケーキなんて初めて買った。最初は「こんな贅沢していいのかしら」とタジタジしていたが、1ピース用の小さな箱に姿勢よく収まったタルトを見ると、「この贅沢をするために毎日をどうにか生きているのかもしれない」なんて思えて、背筋がいくらか伸びた。

ケーキ屋さんのケーキ、それにしか与えられない箱を手に持って歩くと、あら不思議、なんだか少し強くなったような気持ちになる。

守ってあげなきゃね…



箱に入ったスイーツは、それにしかない輝きと喜びと愛しさがある。箱を持っているだけでなんだか強くなれる。いま、私は、幸せをぎゅっとこの四角の中に閉じ込めて持ち歩いています!という気持ちになる。なんなら箱から幸せが少し滲み出ているような心持ちもする。みんな見てくれ!と思う。

なんだろう、箱に入っていると、その中を想像させる力が人に働くからだろうか。その行儀のいい、控えめで小さな方体の中に、無限の幸せがあることを、人はスイーツの箱を見た時に自然と想像する気がする。その漏れ出す幸せと、その箱を開けた時に弾けるきらめきを、根源的な記憶として持っているのかもしれない。箱の中の幸せを想像できるということは、それに関する記憶を持っているということで、それもまたいくばくかの寂しさを孕んだ幸せなのだろう。

そんな引力が、スイーツの箱にはある。


私はかねてよりミスタードーナツが大好きなのだが、やはりミスタードーナツの持ち運びも最大限の幸福は箱に限る。可愛らしい柄の紙袋をギュッと抱き抱えて電車に乗るのも嬉しいが、箱を膝に乗せて揺られる電車の席は格別だ。猫を膝に抱いているのと同値である。



さて、家に帰って少しくケーキを冷やし、いざ箱を開ける。

ああっ…かわいい…
宝石箱やー!


美味しい…!目を見張るほど美味しかった。

ケーキを頬張りながら、連絡をくれた友人たちに丁寧に返事を返していく。12時ちょうどに携帯が揺れないことに、時の流れを感じて一抹のさみしさも感じていたが、言葉をくれる時間など関係ないなあ、とあたたかく思う。

みなそれぞれの生活があって、それぞれ忙しく、楽しく、たまに苦しく、生きているのに、ふと私を思い出してくれて、その瞬間だけでもその人の生活に私がお邪魔している。こんなに贅沢なことはないなとありがたく思った。月並みではあるが、だいじに、だいじにしたいと思った。



誕生日の希少性は逓減しても、喜びは全く逓減していない。歳をとることは喜ばしいことと同時に、ある一定のラインを超えると疎まれ始める。終わりに近づいていく感覚を人は嫌うのかもしれない。祖父母なんかは誕生日を祝うと、「もうめでたくないよ〜」と言う。だが私はたぶん何歳になっても嬉しいしめでたいぞ!

今後とも浮かれポンチで生きていくと思う。みなさんいつもありがとうございます。


前を向けなくなった日は、箱に入ったスイーツを買いたい。

この記事が参加している募集

今こんな気分

文学フリマ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?