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クリエイターと商売

こんにちは、omni-berryと申します。
15年ほどアミグルミを作る人をしています。

先日、横山光輝の「殷周伝説」を読んでいたら、興味深い一節がありました。


(以下要約)
山で修行をしていた仙人(後の太公望呂尚(りょしょう))が、山から降りてひょんなことから商売を始めることになる。

山にいた頃の経験を生かして、ざるやコモを編んで市場へ持っていくが、商品を前に黙って座っているだけなので 一つも売れなかった。

かたや隣では、商人がお客さんと会話をしながら次々とざるを売っていく。

呂尚は黙って座っていれば いいものは売れると思っていた。
呂尚「わからん、このざるの方がしっかり編んでいい出来なのだが…」
- 横山光輝「殷周伝説」より -


(以下要約)
次は小麦粉を売ることにする。
自ら丁寧にひいた小麦粉を担いで、再び街へ出かける。

家々の前を、何も言わず足早に小麦粉を担いで歩いているだけなので全く売れなかった。

呂尚「やれやれ、どうして売れんのかのう…」
- 横山光輝「殷周伝説」より -


…… いや、売れんやろそれでは!ww … てツッコミを入れたいところですが、お世辞にも商売が得意とは言えない自分は、なんだか他人事とは思えないなぁと感じました。


この殷周伝説は、紀元前1,000年頃の中国、今から3,000年ほど前の殷(いん)の末期のお話で、横山光輝先生の遺作となった漫画です。

お話の大部分は、史実に少しファンタジーを混ぜながら殷王朝が滅亡するまでの紂王(ちゅうおう)と妲己(だっき)の極悪非道な行いがこれでもかと描かれていて、これはその中のほんの小さなエピソードです。


クリエイターはモノを作るのは得意ですが、商売が得意とは限らず、「いいものは黙っていても売れる」と考えてしまうことって結構あるあるなのでは無いでしょうか。
私も少なからずその考えが自分の中にありましたが、客観的に見たらこれはだいぶ滑稽なことがわかりますね。

クリエイターを始めた頃は、お客さんが作品を買ってくれることが嬉しくて嬉しくて、お金のことは二の次になりがちです。

私も朝から晩までアミグルミを作り続け、ありがたいことにたくさん買ってもらえているにも関わらず、手元にお金がほとんど残らないという現実に気がついたのは、制作を開始してから3年目のことでした。

正社員時代の貯金を切り崩すにも限界があり、これでは長く続けていくことはできないので何とか商売として成り立つようにしなければと思うものの、実際問題アミグルミを制作して売る、ということだけでは商売が成り立たないこともその時はっきりわかりました。なぜなら制作に時間がかかり過ぎるから。(これについては話が逸れるのでまたいつか)

願わくばもう一人の商売が得意な自分がいて、その自分が代わりにうまいことやってくれたらどんなにいいだろう…と思ったことが何度もあります。

が、もちろん商売が得意なもう一人の自分なんていないので、今日もジタバタしながら今だ試行錯誤をくりかえす日々であります。


話は戻って、呂尚はその後 紆余曲折を経て新しい国の丞相に任命され、軍師として大活躍。日本では「釣りをする人」という意味の「太公望」という言葉がありますが、これは呂尚が語源だそうです。

それにしても、物語の大筋とはほとんど関係のないエピソードなので、横山光輝先生がもしこのnoteを見たら「そこ広げる!??!」って言うかもしれない。


omni-berry
https://omni-berry.com

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