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言葉のある世界で逃れられないこと。

コトバってとても便利。

挨拶、お手紙、共同作業、教えることや喧嘩だってできる。
感嘆詞だって、オノマトペだって、言葉っぽくないのも言葉にできる。

現在、人間界では必須のスキル。
すごくコミュニケーションが取りやすい。
最初に考えた人天才だと思う。


言葉の意味

当たり前だけど、「りんご」とか「椅子」とか、
言葉には特定のモノや状態を表す「意味」がある。

辞書にもそれぞれの単語の意味が載っている。
特定の言葉によって人々は共通のものごとを想像できる。

言葉は基準に沿って使わないと
会話が成り立たない。

基準に沿って言葉を選んでいくから、
自分の伝えたいことをそのまま表現することはとても難しい。


言葉を持つことによって

逆に私たちは限られた考え方しかできないんじゃないかと問うてみる。
言葉から想像できる意味でしか表現する&受け取ることができない。といえる。


そう感じてしまうのは、
私たちが言葉をただ使っているのではなく、
言葉に支配されているからだと思う。


言葉がないと私は何もできない!
そう思う。
何かに依存してしまってるって感覚と同じだ。


例えば、

ルールや法律は言葉によって作られているし、

世間一般での「正しい言葉」からはみ出たことをしたら
時には理由もなく批判されたり偏見を持たれたりする。


私たちが
不適切だ!とかダメな行動だ!とか思うことは
すでにそれらがダメだと定義づけられているからかもしれない。

善と悪を決めているのは
結局自分自身ではなく、
法律などの言葉だと思う。

じゃあ自分の意思って本当にあるのか!?という疑問が頭の中に浮かぶ。


しかも言葉は武器になる。

自分の気持ちを伝える手段ってだけなのに、
なぜだか気をつけて使わなきゃいけない。

すごく難しい。

人を傷つける言葉もたくさんあるし、
文化の違いなどで言葉遣いは人によって違うし、
いろんな要因から勘違いが生まれることもある。

それでも、言葉のある世界で生きていく以上、
使い続けなきゃいけない。


アートとしてのコトバ

コトバは窮屈に感じてしまうこともあるけれど、
色んな種類もある。

絵画やダンス、漫画、音楽などもコミュニケーション手段である。
こういうアート系のコトバでは
比較的表現が自由だなと感じる。
自分を表現しやすいイメージもある。
楽しく生きるためにも必要なコトバだ。


言葉のない世界

言葉はないほうがいい!とも言えない。

なぜなら、言葉がないと意思疎通が簡単には取れないから。

会社みたいな大規模な組織で協力して何かをする
こともできないと思う。


まとめ

言葉がないと不便だけれど、
言葉があってもまた不便。

言葉の表現には限界がある。

しかし、これを上回るコミュニケーション方法
はまだない。

もっとこう、
直接脳と脳同士で会話できれば勘違いとかなくなりそう。


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