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ライター仕事で気を付けていること~何かを捨てると何かを得られる、の巻~

撮影:東畑賢治

捨てるべきものを捨てれば、新しいものを迎え入れる心の構えができる

 恋愛や婚活の当事者に話を聞いて原稿を書くことが多い。取材と執筆をしながらときどき感じるのは「別れがあるからこそ出会いがある」ことだ。恋人や配偶者との別れが典型だけど、親の死去や会社との別離(転職)だったりすることもある。より正確に言えば、別れの予感だけでもいい。寂しくて人恋しくなると同時に、新しい人間関係を迎え入れる心の構えができるのだと思う。
 本当に満ち足りている場合か、現在の人間関係に不満を抱えながらもそれを切り捨てる勇気がない場合は、新しいものが入る余地はなくなる。やる気のある現役世代で「満ち足りる」なんてことはあり得ないので、だいたいは後者が理由だ。
 もたれ合うような親子関係、憎み合いながらも別れられない夫婦、地元や仕事へのあまり意味のない固執……。いずれも人を停滞した表情と言葉遣いにさせるので、良きものが新たに訪れることが減り、訪れたとしてもキャッチしにくくなる。これでは恋愛や婚活がうまくいくはずはない。
 どんなに飽きたものでも手放すのは悲しい。恐怖に似た気持ちになることもある。でも、高校に在籍したまま大学に入れないのと同じように、何かを捨てないと得られない別の何かもあるのだ。捨てるのがどうしても嫌ならば「留年」するしかない。

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自分の中に何もないならば、人との関わりと協力の中で企画を立てて実行する

 同じことは職業人生にも当てはまる気がする。僕の場合は30歳手前の時期に「このままいろんな仕事を請け負い続けて大丈夫なのか」という焦燥感に駆られて、雑誌の特集の一部を書かせてもらう請負仕事などを断ることにした。当然、いろんなものを失った。貯金、元気、信頼、結婚生活……。あり余るほどの時間はあるのに、取り組める仕事が少なく、そもそも何をしたらいいのかよくわからない日々。3年近くも続いた。苦しかった。 
 あのときの捨てる決断が正しかったのかはわからない。実際のところ、3年経っても「やりたいこと」は見つからず、雑誌の編集部に頭を下げて回り、以前と同じような請負仕事をもらって借金を返済した。
 でも、30歳の頃に何も捨てなかったらどうなっていただろうか。各出版社との付き合いは深まり、たくさんの請負仕事をすることでライターとしての腕は今よりは上がっていたかもしれない。あのまま東京に住み続けただろう。一方で、現在のように「自分の中に何もないならば、人との関わりと協力の中で企画を立てて実行しよう」という考えには及ばなかったはずだ。

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東京を離れて得られたもの。ハンディキャップはそのままメリットになる

 今でも昔の知り合いから請負仕事を頼まれることはあるが、以前よりも心から感謝できる。仕事は基本的に自分で企画して制作して宣伝・販売するもの、という考えに変わったので、取材して書くだけで確実にお金をもらえることはありがたいと思えるのだ。また、自分では思いつきもしなかった企画(テレワーク推進セミナーの原稿化とか)を手伝うことになるので、新たな情報や人脈を得て自分の企画に生かすこともできる。この感覚も一度は請負仕事を捨てたから得られたものだ。
 8年前には愛知県の女性と再婚して東京を離れた。出版業界は東京一極集中なので、同業者との切磋琢磨がしにくくなった。もちろん、入ってくる情報も圧倒的に少なくなる。
 これらのハンディキャップはそのままメリットにもなる。同業者とつるめなくなるので、他の様々な職業の人たちと世代を超えて親しくなった。受け身で得られる情報や刺激が少ない分だけ、自分で工夫してなんとか楽しくしている。友人に誘ってもらってnoteを始めたのもその一環だ。
 東京を離れたことがライター稼業にとってプラスだったとはまだ言えない。でも、マイナスばかりでないことは確かだし、プラスの面を意識的に大きく豊かにしていくことはできると思う。何かを捨てればきっと何かを得られる。それは気持ち次第なのだ。(おわり)

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