まだ夢の終点にはバイパスがある

安部公房『カンガルーノート』を読み終えた。

なんであんなにおもしろいんだろね。あんなにわけわかんないのに。最後まで読んでも作品の何割を享受できたのかわからない。楽しみ方こんなんでいいのかなって思いながら、一つ確かなことはとてもおもしろかった。

死の足音が近づいてきたらなにかいきなりつかめるものとかあるのかな。わからないが、足音がはっきりと聞こえ、死の淵に足をかける実感を持った時に思い出す作品の一つにはなりそう。


読んでいて、記憶の奥から這い出してきた夢が一つある。


僕はどこかの駅にいた。

どういうわけかそこに居て、そこが遠い宇宙のどこか、故郷からはうんと離れた場所であることを理解していた。帰り方はわからない。ひっきりなしに電車は到着し、ホームを出ていく。その様子は地球の鉄道となんら変わりはない。だが、そこかしこに書かれた案内がどうしても理解できない。どのホームのどの電車に乗ったらいいか見当もつかない。エスカレータで移動してみても同じこと。そういえばエスカレータも変だったな。身体が一度完全に縦に圧縮されてねじれたかと思えば次の瞬間には元通り、そして目的のフロアが迫っているというような…。恐怖は感じたが不思議と痛みはなかった。この技術では母星に帰れないのか…。

心細く絶望的な状況は意外にも簡単に打破される。ホームにいた一人の人が教えてくれた。この電車に乗れば地球へ行けるよ、と。嬉しかった。なにより安堵した。わけはわからないままだけど、帰る手立てはあるらしい。どうにかなるんだ。ありがとう。その人はたしか駅員のような恰好をしていた。うまく思い出せない。電車に乗り込む様子はなく、ベンチに座ったり他の利用者と喋ったりしていたっけ。女の人だったと思う。本当にありがとう。礼を告げ、僕は電車に乗らなかった。ホームに残り、見送った。並んでベンチに座って、その人とお喋りすることにした。焦る様子もなかったしまた次の電車がそのうち来るんだろう。

そんなところで目が覚めた。

今でもはっきりと思い出せることがある。人は帰り道を見失ったとき、確証のもてない道そのものよりも、道を知っている誰かの方に安心することがある、ということ。僕の帰るべき場所を知っているその人に出会って、なにより安堵した。どんな危険があるのかもわからない電車に乗るより、まずはその人のもとで安心したいと願った。(銀河鉄道なんて嫌でも死を連想するじゃないか。)宙に浮く不可思議な駅、恐ろしいほどの孤独。僕がまず求めたのは拠り所だったのだ。


イメージが近かったので思い出しただけで、関連性はあまりないと思う。ただ自分の中でなんとなく重なるせいで、ひしゃげたベッドへの絶望感はすごかった。僕の夢の中ではバイパスは生きていた。そこが終点になるだなんて考えもしなかった。彼と同じことが起きていたらと思うと恐ろしい。最もこちらのは本当に単なる夢なのだが。

それから、駅員風のあの人は、立ち位置の上では垂れ目Bと似ているが、対照的な存在だったように思えてくる。彼女は僕を現実に帰してくれるつもりだったと思う。Bがあの世へ迎え入れるようだったのとは真逆だ。彼女にはもっと感謝しなきゃいけないかもしれないな。それにしたってあれは誰だったんだろう。


作品の感想どころか自分の見た不思議な夢の話ばっかになっちゃったな。

でもこうして記憶を引っぱり出されたり感情を揺らされたり、僕って存在そのものに影響を与えてくるから名作なんだろう。楽しかった。安部公房やっぱり好きだ。これからも前のめりで読んでいきたい。


『カンガルーノート』はまた時間を置いて読み返したい。とてもよかった。


今日という日について書くことはないな。


あと僕も垂れ目好きだぜ。




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