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回転寿司海老天うどん事変。

日々生活している中で時々、反面教師と出会うことがある。

つい先日別の回転寿司に行った時のこと。(回転寿司き行きすぎている問題は置いといて)隣のテーブルでデザートを落としてぶちまけてしまった人がいた。

店員さんを呼び、「こぼしちゃったの!」と、悪びれる様子もなく、床を拭いている店員さんを完全無視で他のものをほうばっていた。

床の掃除が済んだ店員さんに感謝も述べず、「新しいのもってきてもらえる?」という言葉を放っていて、なんだかわたしの方が泣きたくなってしまったのだった。全く関係ないのに、「店員さん、床をきれいにしてくれてありがとう」と大きな声で言いたくなってしまった。

床に落ちたデザートはきっと、美味しく食べられたかったはず。店員さんだって鬼じゃないから、言わなくてもきっと新しいものを持ってきてくれたかもしれない。だけどそれは、当たり前ではないことを絶対に忘れては行けないんじゃないかな。

わたしなんて、ぽんこつなところ沢山あるけど、ありがとうとごめんなさいは言える。

その隣のテーブルの方は、子供もいる前で店員さんにあぁいった態度を取っているところを見せているのはきっと、普段からあんな風なのだろう。


そして、別の日。今度はわたしたちのテーブルでちょっとした事件が起こったのだった。

夫はよく、回転寿司で麺類を頼む。その日は海老天うどんを食べると言うのでわたしが携帯からのオーダーで海老天うどんをひとつ注文した。

レーンの上をぴゅいーっと流れてきたお椀が、そこにふたつ。頭の中にはてなが浮かぶ。

「あれ?頼んでないよ、ふたつも。これ、たぶん厨房の人が間違えたのかも。他のテーブルに流す海老天うどんだったよきっと。いっこ、返そう」

自信満々で開いた注文履歴の画面にはしっかりと、海老天うどんは「2」と書かれていた。厨房の人ではない、間違えたのはわたしだった。

おいしいものが目の前にふたつもある状況、普段なら喜べることであるのに、ここは回転寿司。

うどんをそんなに食べてしまっては、他のものが食べられなくなるのだ。

夫が回転寿司で麺を頼む時、わたしが半分食べるのを見越している。

だから夫は、目の前に届いたどんぶりふたつをみても1個ずつ食べようという気分にはなれないのだった。

間違えたんだから、一個返しますでええやんという夫に猛反発する。

「それじゃぁこないだのあの人と一緒だよ!あんな大人にはならないって、誓ったんだよ。いっこずつ食べればいいじゃん!」

「おれはうみちゃんが半分食べると思って注文したんや。もうええ。もう寿司頼まんし。今日はうどんだけ食って終わりや」

って不機嫌スイッチが一気に入る。

「はて…?なんでわたしはこの人と結婚したんだっけな」と言う気持ちを抑え、

「じゃぁいいよ、わたしがいっこ半食べますから。麺を半分こっちに入れます。海老天も半分こっちにいれます。そうすればあなたが食べたかった量の海老天うどんが出来上がります。おーけー!?(怒💢)」

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大盛りのうどん。1.5人前にするとこんな具合だった。

その前にわたしは自分が食べたかったサイドメニューも注文していたり、お寿司も来ていたので大食いな人みたいな景色になってしまっていたよね。

自分が間違えてふたつ頼んだんだし、間違えた分ひとつ「これ、ひとついらない!」なんて返すのも違う。

わたしはまっすぐに生きる!ミスはごめんなさいだし、おいしく作ってくれた人にはありがとうなのだった。

そしてもし、もしも返したとしても、ごちゃごちゃしている間に伸びてしまったうどんは他のテーブルに行くことはない。ついさっきまで食べ物だったはずのうどんは、生ごみなんて呼ばれてしまうのか?…そう考えただけで、いや思い出しただけでも泣けてくる。

ごめんね、海老天うどん!!わたしが全部悪かったんだ。

自分のうっかりミス、夫の怒へのギアの入り方、サイドメニューの炭水化物祭りで色んな意味で満腹になってしまった。

だけど、おいしく食べられるために生まれてきてくれた海老に感謝してるし、わたしは今回も正直に生きた。それだけでいいと思った。

夫婦なんて、こんな感じなんだろうか…!!という謎は残しながら(きっとそんなことはない!うちが特別)

ねぇ、神様、こんな真面目なわたしのことちゃんと見てる?という、ちょっといやらしい気持ちも忘れなかった。




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