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母の精神が崩壊⑧ 爆発した怒り

母の入院生活は、壮絶だった。
あまりの激しさに、主治医の先生から
家族も面会禁止になった。

入院した、翌日は面会の許可が出ていた。
こっちの勝手な想像で、感動の対面を想像していたが、面会できる部屋へと通されると、母は、自分が持っていた鞄を振り回しながら、般若のような形相で、父、姉、私の元へ歩いてきた。そして『なんで迎えにこんの!』と、私を叩いた。興奮して話しもできない様子だった。そんなやり取りを見ていた看護師さんに『今日は帰られたほうが…』と諭され、帰ることにした。

病棟からの渡り廊下を歩きながら、ふと思った。母の怒りに満ちた表情を、久々に見た気がした。遠い記憶のどこかで、同じ表情を冷ややかに見ていた、幼少期の私を思い出していた。

私が幼少期の頃、父と母は、よく喧嘩をしていた。母は厳格な軍人家庭で育ったせいか、しつけにかなり厳しかった。そして、自由を嫌っていた。

父は、亭主関白で、嫁の言うことなど一切聞かず、自由奔放に自分の人生を謳歌しており、毎晩帰りが遅かった。午前さまで、ベロベロに酔った父と、父の行動を許さず、怒り狂う母。そうだ、あのときの母の表情だと思い出した。

あの当時、五歳年の離れた姉は、既に物心がついており、父と母の罵りあう声を聞くのが嫌で、幼心に傷つき、布団を頭からかぶり、声が聞こえないようにしていた。

しかし、いつの頃か、父と母は、言い合いをしなくなり、母は父へと抱いた感情を表に出すことがなくなっていた。ふつふつと沸き起こる怒り、悲しみを自分の中に閉じ込めていた。

流れる水は清流で清らかだが、貯まった水は濁り、いつしか異臭を放つようになる。感情も同じだと思った。

数分の面会を終えた、次の日、仕事中、主治医の先生から電話があった。嫌な予感しかしなかったが、恐る恐る電話に出た。電話の内容は、夜中、母が他の患者さんの腕を掴み暴れたので拘束し、保護室へ移動したとの連絡だった。拘束はすぐ解除されたそうだったが、面会を控えて欲しいと告げられた。

後から、主治医の先生とのお話しで、母が部屋のドアを蹴ったり、ベッドの柵を蹴ったりしていたと聞かされた。持っていきようのない怒りが爆発したのだろう。

面会が許可されたのは、入院して一週間後だった。広いフロアーに椅子を用意してくださっていたが、私も母と同じ保護室へ入り、面会することにした。

当初、怒りを露に、私を叩いていた母だったが、少し時間がたった頃、『こんな所に一緒に入って…こんな子おらへんわ。アホやな』と呟いた。『そうや。アホや』と返すと、少し笑ったように見えた。母と娘として過ごせるほんの数秒の会話でも嬉しかった。

また少しすれば、幻聴と幻覚の世界へといってしまう母が、『はよ、帰り!』と半ば強制的に部屋から私を押し出した。振り返ると、反対を向き、私を見ないようにしていた。

母は、錯乱する自分の精神に、もがき、苦しみながら、戦っていた。

私は、母のことを心配するより、母の生きる力を信じ抜くことに決めた。

そして、どんな姿の母でも、受け入れることを自分に誓った。

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