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ネタは(つくって)あるか。

Facebookタイムラインは、ぼくを的にして、「しらべぇ」のグラビア記事を集中砲火してしてくる。その主な内容が、「グラビアアイドルの〇〇がtwitter/instagramで投稿した画像に反響」というものばかりで、そこにファンのコメントがいくらか載っかっている。ふと思うのが、この記事をまとめたライターについて。

「この人たちはどんな志を持ってライターになったのやら。タレントのSNS張り付きまくって薄っぺらい中身の記事を量産してそこにやりがいはあるのだろうか。もうあるいはクラウドワークのこたつ記事なのか。何にせよ刺激ばかりを追ったPV至上主義、もっと言えば、資本主義の残りかすのような記事だよなぁ」

差し出がましくも、ついついそんな記事のつくり/こなし手について考えてしまう。

さてさて、最近観た番組の話について。アベマの『しくじり先生 俺みたいになるな』のR-1チャンピオン・お見送り芸人しんいちの回を観るなかでふと気づいたこと。自称芸人のクズ爆発時代に、しんいちは「ネタなんてつくらなくても売れる」と信じていた。そんなエピソードがあったのだが、ふと、芸人とってのネタとは「メディア」なんじゃないかと思えた。

芸人はネタでまず認知してもらって、それからテレビに呼ばれ(ネタ番組→バラエティ番組)、少しずつキャラを知ってもらったり/発掘してもらったりで「売れる」状態へと移ろうのが、通常の流れだろう。その意味で、芸人にとってネタはまず自分(たち)を知ってもらうための“名刺”がわりにネタがあり、その反響が次の仕事につながっていく。つまりネタは、芸人が「自身を営業するためのメディア」である、と。

そのネタづくりをすっぽかして売れようとしていた、しんいちの反省劇が観れる番組が、しくじり先生なんですが、ほんといい番組なんですよ。だって、きれいごとを言うのは、昔の偉い人の言葉をネットで探して引っ張ってくればいいだけだからめちゃくちゃ簡単なんだけど、“失敗”という経験ありきでちゃんときれいなことを言える説得力って大事じゃないすか。失敗すらも前向きにネタにできるという昇華感も含め。

あ、最近はYouTubeのおかげで芸人のネタの見せ方も変わってきてますよー、という話はちょっと困っちゃうから今回受け付けてません。あしからず。そうそう、『しくじり先生 お笑い研究部』のほうのハマカーン神田の回は、若林の寄り添いが熱くて最高だったんだよなあ。

「美学を持ったままのバラエティはきついよ、そらあ」

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