見出し画像

そのイベントの位置づけは?

facebookのタイムラインを何げなく眺めていたり、お知らせでイベント招待が送られてくると感じること。

「あぁ、あんなところでこんなイベントやるんだなぁ」という発見もあれば、「また同じようなの同じようにやってるわ」とため息をついてしまうことがある。

前者は、なかなか会えない人であれば近況に触れることにできるので案外うれしい。後者の「また同じような~」というのには、「何も考えずにただイベントを乱発してる匂いがプンプンするなぁ」というちょっぴり残念な気持ち(もったいないという意味で)。

イベントを企画するときは、何かしらの目的を持たないと意味がない。これは断言できることで、刹那的な賑やかしのために「とりあえずやりました」「○○人集まりました」だけでは、次につながりにくい。

”次”ってのは、たとえば、場を運営していれば、「イベントをきっかけに、○○な人が日常的に集まるようにする」とか「参加者同士をつなげて、今度は彼らがイベント主催者になるようにする」などのネクストアクションのこと。

何も考慮なしにイベントを続けていても、長期でみたときにその効果を実感しにくく、人も予算も疲弊するだけ。

だから、一つひとつのイベントを”点”と考えながら、それらを積み重ねることで点と点が結びつき、線や面を描けるようにイベントを設計していかないといけない。場づくりにおいてはマストな発想だと思う。

イベントの開催が目的ではなく、まず《コミュニティづくり》が先に立ちます。そのコミュニティを広げるための手段としてイベントがある、ということです。

そこらへんは、ギルドハウス十日町(新潟)の西村さんのnoteとか読んでみるといいのかも。それと、ぼくの周辺の人にももうちょい「そのイベントの位置づけってなんですか?」をしつこいくらい投げかけなくちゃいけないのかもなぁと思ってのメモログ。

たかがイベント、されどイベント、ですよねー。


もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。