若者がいない町から消滅してくんじゃなくて、話し合いができない町から消滅してく。
「手を抜いて関わろうかな」
そんな地域ごとが増えるは、「まあ本気を出すだけの見返り、あるいはそもそもそのエネルギーを受け取ってくれる器が整ってないよな(やればやるほど損かもな〜)」と思わせちゃうからで、組織や委員会で立場が“上の人”ほどそういう意識がないと正直しんどい。
そして、企画を考え揉んでいく“会議をどうつくるか"に対しての疎さは、地域の次世代の活動を奪うことにもつながりやすい(その場の“ファシリテーション的なもの”の重要性はここで高まる)。「意見しても理解しようとしてくれないし、否定ばかりだ」と思われたら、そもそも「地域ごとは、めんどくさいこと、だけど義務としてやらないと誰かが困ること」という印象にもつながる。
そこからちょっと展開し過去ツイートにつなげると、、
と、角度を変えて内省するのにめちゃくちゃいい記事だよなぁ。
p.s. 「手を抜いても関われる」こと自体はわるいことではなく、それでも回る仕組み、関係性がつくれることはむしろ好ましい。全部を全部「全力でぶつかってこいよ」と温度差ある状態で進めていくのは気が引けちゃうし。関わり方のグラデーションとしても大事なんじゃないかと。
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