カタルタで書くか
ぼくだけなはずがない。定期で「マンネリ」という輩がやってくるのは。
朝、昼、夜、の一日、そしてその×7日、さらに×4週の中で同じルーティンに囲まれ、「あれ、自分ってロボットだったっけ?」という問いが脳裏をよぎる生活に対して、何かしらの処置をとらなくては、取り込まれるぞ! と危険は感じてるわけなので、その”何かしら”を模索する。
模索してもなかなかにいいアイデアには出くわさないもので、結局、同じマンネリに悩まされ、ときには狂わされることもあるものだ。ぼく自身、そうやって10代からを過ごしてきた自負があるが、じつは、ちょっとしたことを変えるだけでルーティンを打ち崩せることもあるのを知っている。
やることは同じことでも、そのやり方を違うものにする。ただこれだけである。そして、今ぼくは、いつものnoteをいつもとは違った書き方で試してみている。
最初だけだ。すごく疲れるのは、最初だけ。だって、やり方を変えるわけだし、場合によっては、その「やり方をつくる」工程になるわけだからそりゃエネルギーはいる。ただ慣れれば、わりと楽になるし、その慣れが新たなルーティンを形づくる。
そうそう、で、今ぼくが試してることといえば、文章を書きながら、ときたま「カタルタ」を引いて、その言葉に合わせて、書こうとしてることの続きを書き切ることである。
いや、そこで「残念ながら」とか「たぶん」がくると、想定してた構成がズレて、また練り直さなきゃで頭をフル回転させなくちゃいけなくなるのよ。ややしんどい、けど、意外とおもしろい。と感覚を、今まさに掴んでいる。
カタルタのカードを引くタイミングってのはちゃんと意識はしてて、「5段構成で書くから、各『意味のかたまり』のつなぎ目で4枚は引こう」というもの。ここらへんは、過去noteにまとめたので、もしよければ参考までに。
ちなみに、”5段構成”と言いつつも、完全に”5段落”ではなく、後から自分が読みやすいように、多めに改行を入れてみている。
とりえあず報告しておきたいのは、カタルタを引きながら書こうとするとですね、一枚に書かれたフレーズを見た瞬間に「破壊と再生」が強制的に行われるっぽいので、ことばのトレーニングとして向いてるぞえ!ということ。「論理」と「運」が試される「書く」っておもしろい。
「カタルタ・ライティング」を、noteでやってみようかな。今日は「#14 スタンダード」を使ってみたけど、今手元には「#15 ロジカル」以外の「#16 ストーリーテリング」「#17 ライフ」「#18 エモーション」があるから、他ので試してまだ脳みそをバグらせようかと思う。
もし似たようなことを「すでにやってるよ」「こういうカタルタを使った書き方ができるよ」という方いたら、教えてくださいませ。
嗚呼、なんか後半急に横文字ラッシュでそこだけ見るとめっちゃ意識高いやつだな。ヤだなぁ。
もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。