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泥棒映画

劇場で観る映画はいい。何か一つテーマ(作品)が与えられ、深く長く考える時間を半強制的につくることができるから。何がいいってスマホの通知(あるいは依存)に悩まされることなく、フライトモードの状態であること。深さ長さ、つまり、集中力は、情報が閉ざされるからこそ発揮する。

先週は、関西出張だったのもあり、移動時の「1日1本」マイルールに則り、『笑いのカイブツ』『市子』『PERFECT DAYS』を鑑賞してきた。作品のいい悪いはさておき、あの時間・体験・思考に充実を感じた。ストリーミングもいいけど、映画館はいい。

そういえば、アシスタントの子と映画について雑談する機会があった。そこで、自分が10代(小学生〜大学生)のとき何を観ていたのだろうと振り返る瞬間があったのよね。とはいえ、細かく思い出すほどのメモリがないので、その中で浮かんでくる「記憶に残った映画」とは何だったっけか。

パッと出てきたのは『ライフ・イズ・ビューティフル』。金曜ロードショーで観たやつだ(当時はこのテレビ枠が新たな映画に触れる大きな機会であり、それ以外の選択肢はレンタルビデオかギリDVDくらいの少年時代だった)。

第二次世界大戦下のユダヤ人迫害をテーマにした、親子の物語だ。父グイド、息子ジョズエ。おそろしい強制収容所に連れていかれるなか、グイドは「これはゲームだ」とジョズエに嘘をつく。この嘘を嘘のままで貫き通そうとする父のやさしさと健気さに心を打たれる人は多かったんじゃないだろうか。ぼくもその一人で、小学生だったか中学生だったかは曖昧だけど、人生初の「いい映画! 映画っていい!」の太鼓判を押させてくれた作品だったのはよく覚えている。ルパンのように心を奪って去ったという意味では、”泥棒映画"でもある(泥棒映画はどんどん増えてくれて困らない)。それがぼくにとっての『ライフ・イズ・ビューティフル』。

とはいえ、名作として刻み込まれ、作品名は記憶には残ってるけど、何がどうよかったと感じたのか(どのシーン/台詞がグッときたかなど)は、なんら記憶に残ってない。解像度はヒジョーに低く、ざっくりとしている。

昔心を奪われた作品を、今もう一度観たらならば、一体何を感じるのだろう。好奇心もあれば、恐怖心もある。歳を重ねてしまったがために、むだに知識や経験を積んでしまったがために、驚きの沸点は過去のそれよりも断然高くなっている。あのときの「○」が「△」や「×」にならないといいなと願うばかり。どうせなら、いろんな映画を観るようになりおじさんの年齢に近づいたからこそ見える世界・価値観のおかげで、「あのときは気づかなかったこと」「よりふかく受け取れるようになったこと」が増え「○」が「◎」になればいいんだよなぁ。同じものから、新たな体験をつくりたい。

昔と今、時空をつなぐ定点観測とも言える映画実験、ちょこちょこやっていこう。そうだそうだ、漫画でいえば定期的にあだち充『タッチ』を読み直してるけど、それの映画版と思えばいいのかー。「南ちゃんいい!」が「南ちゃんズルい!」みたいな変化とか出てくるんだろうなぁ。おもろしろいような、こわいような。

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