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【自分史の点をつなぐ】度重なる転校や家族関係の違和感からの、”構造”への大いなる関心。そして「ソシュール」「東京外国語大学」「オルタナティブ」「U理論」など。

ものごとは、つねづね「構造」を考えるようにしている。そして構造は、「環境」とも言えるかもしれない。が、いつからそういうことを考える癖がついたのだろう。

おそらく、構造を気にするようになった入り口は、中学生のときに学校の図書館で借りて読んだ『子どもが育つ魔法の言葉』という子育て本だったんじゃないか。沖縄という島県のさらに辺鄙な離島にいた、13才の少年と青年の狭間にいる男子学生が、なぜこの本に興味を持てたのか。

小さい頃から、人の心理に関心があった。それは、小学生のときから転校を繰り返し、友達との距離感を考えせざる得ない状況に出くわし続けたからだと思う。また、(わりとライトな話として)母子家庭と父親がいないなか、その親との関係性が自分にどう影響してるんだろうという自分自身への「なぜ」があったから。

「けなされて育つと、子どもは人をけなすようになる とけとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる…」というような「子は親の鏡」という詩からはじまるこの本は、自己解剖のために必要な一冊としてあの頃は無意識的に求めていたのだろう。

ここでよく考えるようになったのは、「いじめっ子が、他人をいじめるようになるのは、その子自身だけに原因があるというより、親との関係性含む家庭環境にこそ原因がある」という構造について。表面的に、目の前に見えるものの裏側にあるもの、自分が囲われてる構造(環境)がどうあるのか、そういった視点をなんとなく宿りはじめたのは、13歳のときだったはず。

そこから派生して、『ミュンヘンの小学生』というシュタイナー教育についての本を読み、ドイツ(語)に興味を抱き、高校では倫理の授業にハマり、「構造主義」という概念を知り、ヴィトゲンシュタインやソシュールという哲学者・言語学者を知ってから、「ことばからまずは学んで、ものを考えてみよう」と東京外国大学の扉をたたくことになった。結局、流れ流れて、国際比較教育学のゼミで「イエナプラン」というオルタナティブな教育法に触れ、また社会人になってから「U理論」という考え方を知り、地方で(学びの)場づくりに関わるようになったのは、繋がっていないようで意外と繋がっていた。

そんな自分の全体像(と要素/成分)のふり返りとしてのざっくりとした備忘録。ここらへんの肉付けや掘り下げ、また他の「今のアレはコレから繋がってるな」的な整理はどっかで記録しよう。

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