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書き終わったとき「わあ、根暗◎」と思ったよ

 気分がすぐれないときほど、文章を書くようにしている。これは自分という人間を乗りこなすうえで意識するようになったこと。いわゆる、処世術というやつだ。かっこよくいえば、マインドハック。いや、全然かっこよくない、ダセえ言葉だな、おい。

 パソコンやスマホのような整ったフォントで文字を打ち込むよりも、紙とペンを使って、もう良くなる気配のない自分の汚い字と向き合いながら書くほうが心象にいいので、いつもは原稿用紙に書いている。

 最近は原稿用紙以外に、便箋にとりとめなく書き散らすのが気に入ってる。一時期、手紙を送ろうと便箋を買い溜めていたのだけど、まさかここで使うことになるとは。とはいえ、文字をびっしりと埋めた一枚は、宛先などなく、ただただ自分の書き溜めファイルに綴られていく。

 あえていうなら、未来の自分に向けた手紙のようなものか。その未来も近いのか遠いのかすらわからない。ふとした瞬間に、気分がのったとき、そしてそのファイルが偶然に目についたときに開かれ、過去の自分の心の具合を確かめるものでしかないんだろうな。

 そいつが何に活きるかなんて全くわからない。むしろ役に立つことなど一つもないかもしれない。そんな利益とか意味みたいものを考えていたら、そもそも「とりあえずまあ書き始めてみましょうよ」と自分に司令など与えられるはずもなく、無駄に終わってもいい、と思ってるのだろう。

 無駄に終わっていい、ってのは例えるなら、ただ「やけ酒」するようなもんだ。まわりがどう感じてるかはわからないが、ボクにとっては、やけ酒にあまり意味を感じていない。その場しのぎで、生産性のない、刹那的な怠惰でしかない。けど、つまり言いたいこととしては、怠惰が生きていくうえでは必要だということで、すべてに意味付けをしようとするとしんどさしかない。

 特に、何かを始める前に意味(理論)づけなどしようもんなら、そもそも臆病もんのボクからすれば、行動できなくなる。意味づけなど、動いたあとにすりゃいいことで、そのために、ない知恵をチューブのようにひねり出し、アドレナリンどくどく、脳内フル回転で汗をかいたほうがずっと健康的だろう。何も行動しないよりかは。

 そして「行動しない」ということは、結局、この先も生きてる限りは続いていく将来のうち、同じ苦しみのループに身を置くということでもある。それは、もったりのっそりと動く観覧車を、乗車してその中から外を眺めるでなく、乗車しないどころから遊園地から遠く離れた外からその大きな円状の機械とその中に点のように居座る客をずーっっと眺めさせられているような。それはさすがにまいっちまう。

 いや、「苦しい」のが悪いことだとは思っていない。

 ただ苦しさの色というか質というか、そういった属性を変えていきたいのだ。あるいは、M気質なのだろうか。苦しさを良質に進化させていきたいという願望がどこかにあるっぽいぞ。だから、ずっとずっと同じ苦しみなぞに囲まれた日々は送りたくない。

 昔書いたことも、今振り返ってみれば、結局のところ、自己嫌悪から書き始めたことなのだろう。

 ボクは、変われているのだろうか。もちろん、自覚できるほどに変わったものはあるが、それ以上に変われていないものはあり、相も変わらず悩まされている。悩みすぎてもはや愛嬌がつくほどにはなった。

 が、いわゆる怠惰がもはや手のつけどころのない、形状記憶合金のような自身の気質として理解するようにするべきか、変われる可能性をつぶさないようにその不断の小さなトライアルアンドエラーを重ねていくべきか、間で揺れて揺れて、まだ中途半端なところにいるような気もする。まあ、焦ってもしゃーないから、時間が解決することや、内的な精神論よりも外的な環境改善に頭を使ったほうが賢い気もするんだよな。

 とにかもかくも、もう20代前半からずっと持っている意識としてこびり付いている「明日死んでもいいと思いながら毎日過ごしてはいるけど、だからといって死にたいわけでもなく(殺意を持って襲われればスーパー抵抗するし)、生きたいと日々を丁寧にあるいは必死に過ごしてるわけでもない、そのぼちぼち感」について、もうちょい言語化しておきたいなぁ、と最近はよく思っている。

 ネガティブでもなく、ポジティブでもない、ただ事実としてそう思いながら、社会どころか、自分自身の歯車にすらなれていない魂をどう扱っていけばいいのか、という話なのかもしれない。

 まあ、この言語化問題自体は、前にはなかったものだから、悩みの変化とも言えるんかな。ただ、M野郎として期待する”良質”なものになるかどうかは、空けてびっくり玉手箱、それにふさわしい言葉を見つけたときにしかわからない。

 結局それまではずっと悩み続けるよね〜〜(はるな愛風)

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