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妖怪から学ぶ「こんなリーダーは嫌だ」

最近はチームのあり方について考えることがめっぽう増えた。

それは、今まさに地域自主組織の立ち上げに関わっているから、というのもあるし、前から関わっているプロジェクトの意味/位置づけを図ってるからでもある。

健全なコミュニケーションがあって、健在なチームができる。

だいたいの問題は「コミュニケーション」でしかない。

以前facebookに書き込んだことだけど、たいていのプロジェクト(と人間関係)の”こじれ”って、コミュニケーション設計の問題が大きくて、それに関わる人たちの配置を調整し、量と質をうまくいじれれば、いい方向に転じるんじゃないだろうか

空回りしているリーダーがいたとき

今ぼくが特に向き合ってる大きな課題感としてあるのは、「リーダーが適切な役割を担っていない」ときにどうすればいいのか、というもの。

そもそも信頼関係がない、しかも、発言や行動も的を得ていない、などがあるなか、そのリーダー本人もチーム内のリアクションに異変があることに気づいていない。

「みんなが付いてこないから」というなか、妙な責任感から、どんどん一人でできないことを勝手に進めちゃって、さらにまわりの不安感ばかりが募る悪循環に...。

みたいなことがあるとき、どうやってコミュニケーションを整え、そのチーム内の声を拾い上げ、理想だけなくそれなりの妥協もあるなかでプロジェクトを進めていけるのか...。

まるで正吉河童のような

昔コラムで「正吉河童」について書いたことをあった。ざっくりいえば、「河童のせいで発狂しちゃって、幻覚からか一人で相撲を取っている正吉という男」について書いたものだった。

正吉のような、河童が見え、あまたの河童とたたかっている人の状態を、「一人相撲」というらしい。相撲はちゃんと、相手がいてとれるほうが健康的だ。思い込みなんかで、相撲はとりたくない。

一人相撲という言葉の由来に触れてもいたのだけど、今あらためてチームづくりを考えたときに、「この一人相撲なリーダーは阻止せねばだよなぁ」とも「すでにいる場合には”祈祷”的な何かをやらないと良くはならないよね」とも感じるわけで。

教訓的というか、反面教師的というか、正吉のような人をうろつかせない組織づくりとコミュニケーション設計について、もっと悩んでみようかと思います。

日々、失敗と学びだらけだ。ほんとに。

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