ぬらりひょんの存在性
そう説明されるのが、妖怪「ぬらりひょん」だ。あたかも家の主のように振る舞うもんだから、家の者も追い出せない、もしくは、その存在に気づかないとも言われている。
が、 じつは、この特徴というのは、資料としては確認されておらず、古い図画に描かれたぬらりひょんとその説明書きから、拡大解釈されたものと指摘もされる。
「妖怪の総大将」に加え、「家に入ってくる」というのは、水木しげるをはじめとした現代の妖怪研究家たちによって、広まっていった。
何がいいたいかというと、流行りの若者言葉があって、時代とともに日本語も変化するように、妖怪も少しずつ変化してることだ(ここでは、「へんか」よりは「へんげ」と読みたい)。
天狗だって、烏天狗だったのが鼻高天狗になったり、仏教の敵だったり味方だったり、いろいろ特徴(あるいは設定)も時代ごとに移ろっている。逆に言えば、その時代における妖怪の存在性を紐解くことでわかることもあるのだろう。
「煮詰まる」の意味が違う意味で広まって、誤用のほうがスタンダードになっちゃったよね、という世界線が今るように、その変化は変化としておもしろがりたい。それはそれとして受け止めつつも、「じゃあ、元々ってどうだったの?」と掘り起こしてみる。
「そりゃあ違うよ!」と否定しまくってプンプン怒っていても、現実は変わりにくいわけでもあり……。
入口が「妖怪の総大将」であっても、そこから興味を持ち、調べてるうちに「海の怪としての伝承がある」と知ったり、「"ぬらり"と"ひょん”という擬音がポイントなのか?」と疑問に思ったり、過去を辿って、奥深くに進んでいくことはできる。
その奥行があるから、妖怪は、文字のごとく、妖しくて、怪しくて、おもしろいんだよなあ。
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