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あれかこれか、あれとこれの間のことか

あるかないか、わかるかわからないか、男か女か、見えるか見えないか、凡か非凡か、ポスト資本主義か資本主義か、犬か猫か、敵か味方か、都会か地方か......。

どちらを取るかの二極論だけで話をしていても何も解決しない。だいたいのことの解は、二極の狭間にあるものの模索でしかないのだろうから。

こわいのは、その二極の狭間にあるものをないことに、狭間にいる人の存在をいないことにしてしまう発想。

わかりやすく二極論で片づけようとする人ほど「多様性が」と口にする傾向ってなんなんだろうなぁと不思議でしかたがない。

昨日、数字の「3」について話を聞いたのを思い出した。

1つがただそこに存在するだけじゃ個性ってのはわからなく、2つ目の対照がでることで比較ができるようになる。けど、2つだけだと対立構造になりやすいから、3つになって初めて”多様”という概念が生まれるみたいな話だったと思う。

直観的ではあるけど、ぼくらはその”狭間”を探る時代に生きている。

ぼくの好みの言い方に換えれば、物事の”境界(線)”について考えることだし、結果やっぱり、あの世とこの世、家の内と外、夜と朝のようにさまざまな境界に現れる(とされる)”妖怪”について考えることは、この社会について思い馳せることあり、さらにいえばその社会をつくる人間、その一人の人間である自分を見つめることだよなぁとつくづく思ってしまうわけで。

いろいろモヤモヤしたから文字としてとりあえず発散させておく。トップ画像は、ふざけてるのかふざけてないのかよくわからない人の寝起き。

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