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人を贄を捧げた、地域プロジェクトに未来なんかあるもんか

ネオ公民館「なわほ」が動き始めて、もう6年目に入った。運営母体の組織の立ち上げから換算すると7年になる。いやあ、マジで早い。

じつは、今年からは(役員も含め)運営からは完全に離れたわけだけど、それは自分が動かそうとしなくても場が動くようになってきたから、ここが引き際だと思った。

細かくは、5年間で自走するまでの場の流れをつくるまでが自分の役割だと意識していたことが、ありがたいことにちゃんと5年で納まったからでもある。

属人性ばかりで事が動いていくような、「この人がいないと場は回らない」という場づくりは、継続性がなく、未来がない。言い方を換えれば、だれかの犠牲のもとに成り立つ場にもなりうる。そんな状況で「SDGs」などの単語が出ていたとしたら、なんと不可解極まりないシチュエーションだろう。

贄を捧げて、回っていく地域プロジェクトなんて、恐ろしい。ギャグのように聞こえても、やっべぇぞ、とはこのこと。だけど、実際にはそういった少数の人に責任と役割が重なっている事業などいくらでもある。

だからこそ、「人がつどう場をつくることは大事」という前提はありつつも、そのお客さんとしてくる参加者ばかりの増加を狙うのでなく、運営側としてともに動いてく人を呼び込むような、プロジェクトマネジメントが必要になってくる。

なわほの場合、「つくる人がつどう場をつくる」というスローガンを掲げていたのは、そういった理由からだった。主体的に「つくる人」の人口を増やしていかなくちゃ、どこかで頭打ちになる。

そもそも人口最少県の鳥取である。その中でどう人を巻き込んでいき、つくる意識を共有し、場を動かしける流れをつくっていくことは、最重要ミッションとも言える。

正直なところ、この6年間ちょっとの取り組みで、「うまくいってるのか?」と自問自答すると首を傾げたい気持ちはある。うまく回っていないこともぶっちゃけある。

とはいえ、正式に運営から自分が離れたこと、なわほという場の利用者がちゃんと増えていること、そこに伴ってお金も発生していること、自分が何かを働きかけなくても人と企画がこの場で交差している事実はある。

参考になるかどうかわからないが、地域住民や移住者にサポートもらいながらも、どう場を育てていくのか、人に働きかけるのか、これまでの自分の意識と実践を少しずつ綴っていこうと思う。

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