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質問に前提のない選択おバカ

「てめぇで選んでください」

何を選べばいいのか聞いてこないで。自分でちゃんと考えて自分の意思で選んでみてよ。自分で選ぶことなく「〇〇さんが言ったから」という責任転嫁しやすい逃げ道をつくらんで。

自分で決めてこなかった人は、そりゃ他人に選ばされた暮らしなわけだし、そこに手触り感があるわけないし、空虚だと思うのよ。また何か大事な選択を迫られたときも、自分がないから(自分の選択に自信がないから)どうでもいいだれかの情報にばかり耳を傾ける。

選択肢が広がるのはよくても、選ぶのは、そんで環境を変えていけるのは他でもなく自分しかいないんだから。てめぇで考えて選んでくださいよ。それで成功しようが失敗しようがどちらでもいい。自分で選んだ失敗と、他人に選ばされた失敗は10万トンくらい重みが違う。

ふと友人と学生(時代)のときに話をしてたら、「選ぶ」ことに慣れてない人ってわりと多いことに気づいた。「受験」のときから選ぶ筋肉が試されてたんだなあと。しかもエリートと言われる道を通ってきた人ほど、”敷かれたレール”を選んで、自分で選んでいるつもりで選べずにきた人ほど、社会人になる前後であたふたする。まあ自分で選ぶ練習してきてなかったんだからしょうがないよねー。

とはいえ、無駄に賢いから情報収集しようといろんな人に「どうすればいいですか?」「どう思いますか?」と聞く頭は持っていて、それがむしろ厄介だ。「自分は××と思うんですけど」という意見というか前提がない状態で、ただただガトリングのように質問を投げる。人に言われたものばかりをホイホイ受け取って納得するのは違うぞ。おめえの道はおめえが示せろってんだ。賢いやつほど選択おバカになっちゃってるのほんと不思議。

知識を溜め込むだけなら、もうスマホが、AIがやってくれるのよ。賢さとサバイバル力は違う。偉そうな「教育」って一体何をめざしてるんだろうか。天海祐希が出てたドラマ『女王の教室』のとあるシーンを思い出してしまった。

どんな環境でも生きながらえるやつ、そういう輩と茶や酒を飲みたい。そういう輩と死ぬまでつづく考える修行をやってきたい。

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