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個人FBアカウントを止めて気づいた人間関係とPRのこと。

電灯一つもつけずに、うす暗がりのなか、PC画面に向かっている。目の前には、隙間からの微風にゆらゆらと浮遊する風鈴、引き戸の奥には、緑で若々しい紅葉と、その木々に隠れた蔵、そして、深々と降り注ぐ雨。

梅雨がやってきた。ザァザァ、ザァザァ、家がしんと静かだからか、雨音はっきりと聴こえる。よーく耳を澄ますと、その音に混ざって、ポトポトポト、ピチャピチャ、と屋根から滴り落ちる雨音がうすらと響いており、今は自分は雨の家のアンサンブルを贅沢に聴けているみたいだ。

「心の平穏」なんてのは使い古された言葉かもしれないが、ただ家にいるだけで、それを感じられるのは、自分にとって安心できる家づくりができてるって証拠でもある。

そんなふうに、静けさを保つためには、家の環境を整えていくことがまず一つ。ただそれ以外のことも気をつけたいことがある。ぼくは、直近の2ヵ月間、Facebookの個人アカウントを絶っていた。

使わざるえなくて、使っているSNSというのは、しょーもないお知らせやら、どうでもいい人からのコメントやメッセージのやり取りが苦痛でしかたなかったし、無駄にソワソワさせる原因で、ぼくの心臓にはよくなかった。

もともと一個人としてはやる必要を感じていなかったし、仕事がらみで続けていたものを止めただけなので、働き方や仕事を変えた今FBを絶つのはわりと自然なことで、部活を辞めたから運動しなくなったノリに近い気もする。「止めるとどうなるんだろう」と気になることがあったが、実際止めてみたら、収穫がいくらかあった。

一番実験してみたかったのは、「シェア」に関すること。仕事でこれまで活動報告として、イベントや執筆記事などをFBシェアでしていたが、それは「しないといけないもの」と思い込んでいた。

FB友達が増えれば増えるほどリーチさせられる範囲が広がる、ことを意識したせいか、投稿の手を止められなかったのだ。自分でも「告知うるさいアカウントだなぁ」と感じながらも.......。

5月からnoteを使って、ほぼ日で日記をつけている。「書いたものはシェアしとけば、(自分の意図とはズレていても)何かしら跳ねっかえりがあるんじゃないか」という頭もあって、最初はシェアを考えたのだが、グッとこらえることにした。そして、1ヵ月が過ぎた。

ひたすらに、note内だけの広がりを頼るしかなかったのだけど、SNSまで飛び出さずともそれなりに(こんな自分に向けた日記であっても)読んでもらえることを実感した。

同時に、noteに関しては「(ちょっとでも)読みたいと思った人が読んでくれている」という感覚を掴んだ。これに対して、過去のFBシェアを振り返ると、「知り合いだから」という理由で読んでいたり、関心もない人たちのタイムラインに押し付けるように流していたような気がした。

つまりは、自分とは関係性のうっすい人たちにまで届けようと躍起なっていたなんだなぁと気づき、自分にげんなりしたのだ。だから、もうそんなことを止めようとつよく思った。

それとは別にシェアの意味について考えた一件が。アキナイイエという家に住みはじめてから、特にFBシェアを通して知らせたわけでもなかったのに、2ヵ月の間に遠路はるばる遊びにきてくれた人がいくらかいた。 

これは、むやみやたらに発信をしなくても、自分を少しでも気にしてくれている人は向こうから一報をくれ、わざわざ足を運んでくれるということだ。そういう人たちほど、もともとぼくとの関係性は近く、親和性も高く、一緒に家で過ごした時間はたのしい記憶ばかり。

タラレバでしかないけど、もしGWを前にアキナイイエのことをFBで流してたら、もうちょい人はきていたんじゃないかと思う。ただそこでやってくる人って、かなり気を遣いながら一緒に過ごさないといけない、ミーハー気質な、ぼくの苦手な人なんじゃないかと邪推してしまうのだ。

ジタバタしなくても、(少なくとも自分が思う)届けたい人には届いている。むしろあっちから情報を掴みにきてくれる。発信しないことも発信であり、自然とフィルターがかかるSNSとの付き合い方もある。

これは小さな発見だけど、小さく暮らす(身の丈に合った商いをつくる)ための大きな学びである。

まだうまく言語化できていない部分が多いんだけど、これこそ、場づくりとメディアづくりの関係性(組み合わせ方)を考えていくためのヒントじゃないかなぁ。

6月からは、新たな実験も兼ねてFBを再開してみる。あと半年で完全に止めたいからこそ、再開するんだ。ここらへんはまた実験を進めるなか、ゆっくり整理していこっと(なんにせよ、FBを開くたびに胸騒ぎがする現象はどうにかならんもんかね......)。

もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。