地元がない自分にとって、甲子園はちょっぴり切ない大会だった。

いつの前にか、甲子園が終わっていました。甲子園に気づいたのは、終わりかけるちょっと手前の、秋田代表の金足農業が準決勝で勝ち上がったくらいだったような。まわりがSNS上で一気に盛り上がり出したから、その情報が受け身で入ってきてしまった、というのが正直なところで、なんででしょうね、甲子園というものに関心が持てない夏だったわけです。

それはもうずーっとそうで、プレイヤーだった高校球児のときくらいに甲子園はじっくり観ていて、一番印象に残っているのは、高3の甲子園、同世代のハンカチ王子とマーくんがやり合ったときだっただろうか。野球が嫌いなわけではない。基本は自分がプレイする以外の野球が興味ないってのはあるんですけど、パワプロの高校野球のサクセスは超やり込んだ記憶もあるし、今でもMAJOR2ndやダイヤのエースなど読んでいる野球漫画だってあるくらい。

ここ数年は、地元沖縄のどこが甲子園出場してるかすらも把握しないままに夏が終わることばかりだ(てか、今年どこだったんだろう)。なぜこうも甲子園に入れこまないのか。ずっとその疑問がわからずにきたんですけど、金足農業に関するまわりの投稿を観ていて、ふと気づいたことがあったんですよね。

言っちゃあ悪いですけど、盛り上がってる人たちはべつにみんながみんな野球が好きなようには見えない。基本的には、彼らは自分たちの地元だったり、知り合いがいる地域の代表を応援してるんですよね。つまり、甲子園という大会を通して、地元(地域)愛を確かめているような感覚があるんじゃないかと思うんですよ。地元って、言ってしまえば、自分の一部みたいなもの。その代表が甲子園という大舞台で全力で戦っているんだから、そりゃ応援したくなるよなーとハッとしたわけです。納得だわ、と。

で、ぼくが甲子園にまったくのめり込めないのは、きっと「地元がない」という感覚だからだと気づいちゃって。さっき「地元沖縄」と書いたんですけど、長崎生まれで、すぐに移った横浜に9歳までいて、それから高校卒業までの9年を沖縄で、それからは東京に行ったりして、なんだかんだ今は鳥取にいて、というように転勤族だった自分のなかに「~が地元」っていう感覚がごっそり抜けているんですよね。

だから、(たとえ無意識的にだろうと)野球という枠組みにのっかって、あるチームを応援することで、地域アイデンティティを確かめるという行為に全くピンときていない。地元があるようでない自分からすると、甲子園ってちょっとさみしさを感じるものだったんだなーと気づいちゃったわけで。よくまわりを見て「地元があるってうらやましいなぁ」と思っていたのが、こういうところでガツンとやってくるだなんてね、という切ない発見があった30の夏でした。

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