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無計画からのロケットスタート

おひさ。8月まで書いていた「オールナイトニッポー」以来のnoteになるのか。いったん停止してからの不動の粘りがすごい...。

さて、約1ヵ月程を毎日記録してて、これはもう週1ペースでいいかなーと思ったところで新しいアイキャッチ画像をいじって下書き保存したところで手が止まっていた。

今夏、noteの使い方を改め、オールナイトニッポーのように自分のしごとに関すること、特にはローカルに紐づくものを記録しようと決めた。押し寄せる「やらなきゃ」と「にげたいっす」に吞まれた忘却を避け、各プロジェクトにおける役割や企画を整理する意味で自分にとっても尊いし、すでにローカルを意識して動いている、あるいはこれから関わろうとしている人にとって何かしら考えるための素材になるかもしれないから。

20代のときであれば、”たいていのことは自分がやる”という気概でもろもろ動いていたけど、自分ひとりではできないことが増えたり、むしろチームでやるからこそできることが見えたり、自分が縛られることなく熱量もってしごとに向き合っていくために一つの場所に居座らないという距離感が掴めてきたり、物事の「はじめ方」「離れ方」の考え方も変わってきた。

まあプロジェクトに対する基本姿勢は、「はじめるなら離れることを考えて座組づくりに取り掛かる」なんだけど、その細部として何を自分がやるといいのか、やらないと後々きつくなってくるのか、日々小さな失敗ヘマを繰り返しながら学習している。

長ったらしくなったけど、「自分のためでもあるけど、次の人のためにもなる」という記録の取り方をもうちょっと試していこうと思う。難しいのが、これが「顔の見えない他人のために」となるとただただしんどくなるので、「自分のため」というエモさを大事にしながら(そういうのがないと持続性に欠けるのは経験上/性質上もうわかっている)、進めていきたい。

「ローカル」というものを扱うとき、ぼくの中の分類としては、なんとなく「メディア(情報編集)」「プロジェクト(マネジメント)」「コミュニケーション(営業・調整・翻訳・運営)」の3つに分けられる。今後は、ここいらをちょっとだけ意識して記録していく。

そうそう、なんで急にnote再開したかといえば、一つは日々とめどなく頭の中に湧き出てくる感情と思考を吐き出すのを怠けてて”便秘気味”で重ったるしくなったから。で、もう一つは、Facebookシェアしてた過去noteがリマインドされたから。

思い出せるという点では、そのときに「何をやっていたか」という事実はもちろんだけど、それ以上に「何に不安を抱え」「何に憤って」「どこを目指していたか」という心の揺れや、試行錯誤を言葉のチョイスから読み取れるのがいいんだよなぁ。不思議と体のいたるところに潤いを感じる。

以前は難しいことをあまり考えずに思い浮かんだことをすぐさま掴まえながら手錠をかけるように文字化し記録することが身体に沁みついていた気がする。ある種、そのときの"raw"なものを言葉として封じ込められていたからこそ、読み返すとじゅわっと潤うのだろう。ガチガチに固めたことを書くと決めて記録していたらこうはなっていなかったんだろうなぁ。昔のおれナイスだわ。

無計画からのロケットスタート、たぶん、そっちのほうが性には合っている。また、前触れもなく投稿するでしょうよ。

もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。