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スヌーピーの言葉が沁みない人と「異世界転生もの」

欲求不満の吐口のようで気持ちわるい

8-9割型の「異世界転生もの」「なろう系」に対する感覚は、今も変わっていない。

ただ新たな気づきはある。その現実逃避感ってのは、「本当の私」への固執が根っこにあるんじゃないか。会社や学校での私は本当の私じゃなく、絶対的不変の私が評価されていない現状への不満みたいなものが昇華されたかたちなのかもなぁと。

それと、こういう作品の台頭、人気獲得って、近年の「親ガチャ」「上司ガチャ」といったガチャ論ともリンクしてるような気も。

配られたカードで勝負するしかないのさ

有名なスヌーピーの言葉だ。けど、現代の日本は「配られたカードで勝負するのに疲れた人」ばかりなのかもしれない。その抗いが作品に出ている、というか、共感のためのツールになっていて。

私はいろいろ、環境に合わせて変化し続ける。配られた足元にある"状況資源"を生かしどう立ち振る舞うか。そういう現実の冒険も楽しいじゃん。


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