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ツイッターが東京になってきた。 もちろんツイッターとはxのことで、未だに口にも目にも慣れぬ名称に抗い続けているわけである。なので、このまま無理やり「ツイッター」でいく。 大都会、東京。ふだんは鳥取にいるけど、定期的に(二拠点のときもあって)いるのが東京だ。沖縄出身だけど、まあいっても大学から上京してたし、やたらめったら都会のあれこれに驚いたりすることもないのだけど、都会と田舎を行き来する度に感じるのは「東京は、ノイズ(騒音)が多い場所だなぁ」ってこと。 こ
「田端」「神泉」と打ち込まれていたものが、「米子」「名和」へと変わる。路線の時刻検索をいじってると、毎度ながらではあるが、東京から帰鳥したんだなぁと実感する。 昨日の最終日、田端スタバで日記をあげたあと、「シネマ・チュプキ・タバタ」へ。もう観れないだろうと思っていた『アイアム・ア・コメディアン』が、都内で唯一上映していたのが、ここだ。 7月の出張時、広島まで立ち寄り、ネタ+監督も交えてトークを観たくせに肝心の作品を観れていなかった。鳥取で上映はないだろう……と腹を括っ
昨日の飲み会もあってか、二日酔いスタート。しかし、いつもよりも頭は痛くない。少しどんよりする程度で、動ける、動けるぞ。サッとシャワーを浴びて、店を後にする。 高島屋近くの、昔よく足を運んでいたカフェに入る。テラス席があって、人の流れも見えるし、日除けがあって風も心地いし、そこでしばらくパソコンを開き、たまっていた事務作業をば。 この日は、15時から狙っていた舞台のチケットをとっていたのだけど、メールを見ると、「当日ですが会をキャンセルすることなりました。返金手続き
イレギュラーなときにどれだけペースを守れるか。これが大事なわけですな。いけないいけない、毎日書くことを続いてはいたけど、note更新は抜け落ちてしまっていた。 鳥取大山を経ち、大阪経由で東京入りしたのが13日朝。かるくカフェで作業して時間をつぶしたのちに、新宿の世界堂へ向かう。10年以上前、新宿勤務だったときに興味本位で1度のぞいたくらいの文具大型店舗。まさかしっかりとお客さんになる日が来るとは。 学生か芸術の匂いがする人たちに場違いに混ざりながらも、A3のスケッチ
旅行や出張にかぎらず、東京の街を歩いてると、なんのために歩いてるんだろう、と、はたと感じる瞬間がある。 個人的に、降りたことのない駅に気まぐれに立ち降りてみて、散策するとかは好きだ。知らない地図と風景を、自分の頭と心で埋めていく作業が好きなのだ。Googleマップは100%信用していない。だからそれは、健康のために歩いてみるといったものではない。いやいや、そういう趣向の話をしたかったわけじゃない。 東京の街を歩くとは、歩きたくないのに歩かされてることが多すぎるのだ。
一昨日から三日連続で五反田のカプセルホテルに泊まっている。その最終日。 AM8時台にごそごそカバンを漁り、シャワーを浴びて、出発準備をしていると、同じような顔がある。連泊する人も珍しくないようだ。歓楽街のど真ん中にある宿なのもあり、もしかしたら、地方から出てきて、こういう場所で働き始めた人が部屋を借りるまでの仮住まいとして使っている可能性もある。 場所が場所だからか、思いのほか、外国人観光客らしき姿は少ない。しかしまあ、初日から受付担当だった中国人スタッフは、後ろに
お昼どき、田端の駅ビルの中にあるカフェで時間をつぶす。時間をつぶすと書くと、どこか余裕があるようだし、休みみたいな書きようだけど、まあそれなりにやることは溜まってるし、ふつうに稼働日であり、「やらなくちゃいけない」ことの逆算にひぃひぃ言いながらやっている。1時間後に、打ち合わせのような、ただのランチのような、ふわふわした対面が待ち構えており、あと1駅という距離でスタンバっている感覚があるので、無意識的に「時間をつぶす」が出てきてしまったのだ。ちなみに、スタバでスタンバってい
これだけ人がいるんだもん、そらぁ、物語もたくさん生まれるわな。 べつに酔っ払ってるわけじゃないのだけど、妙にしんみり感慨深い朝を迎えた。日曜日を経ての、月曜日。10時を過ぎた上野駅は、学生やビジネスマンよりもやや(外国人)観光客が多い印象を受ける。そんななか、右へ左へ、出たり入ったりを眺められるカフェに入って一息ついている。 行き交う人、その種類のバリエーション、そして、会話してる・するかもしれない人たちの関係性、そのもろもろを考えると、冒頭の「こんだけ人がい
東京のほうが暑い。沖縄育ちのぼくはいつもそう感じている。 今日から一年振りに都内に滞在している。今回は、6日東京、1日広島に立ち寄り、また鳥取へ戻るルートを組んだ。 羽田空港は、心なしか人が多いように見えた。もう夏休みに入った子たちもいるのか、知り合いの子どものようにチケット取っちゃったから、終業式前にフライングしてるのか、家族旅行のようなグループが四方八方に確認できた。米子から同乗していて、機内じっとしてられず、前の席からときどきちょっかい出してきた男の子(まさに
大江戸線新宿駅は、黄泉の世界とつながっている。 そう訝しみながら、まいどまいど、深く長いエスカレーターを下っていく。うっかり大きなカエルの口に飛び込んでしまい、その胃液で地下へと流されていく心地で、死を待ちわびる虫のようにぼんやり立ち尽くしてしまう。 向かうのは、たいていが六本木か青山一丁目。下車し、さささと用事を済ませると、まじめな小学生の下校のように寄り道などせずとんぼ返りでまた新宿へ。 今度は、地底から這い上がるようにエスカレーターを上っていく。張り巡らされたサイ
自分が踏み入れたプラットフォームそのものに一度疑問を持っちゃうと、あの頃に抱いてしまった甘ったるい未来予測ばかりの楽観的な自分にはもう二度と戻ることができない。そうなんだよな、少しでも期待してしまった自分がいけなかったのだ。 一人で勝手に期待して勝手に裏切られた○ナニープレイをするたびに、高校のときの恩師を思い出す。 * 高校生のぼくはとにかく沖縄の外に出たくてしょうがなかった。県外に出るにも海を越えていかなければならない、外の、本土をみれば、上には上のすげぇやつらがい
12月29日。昨日で仕事納めの人も多かっただろう。そして、帰省ラッシュになるであろう、この日に移動を試みてしまった。羽田〜米子空港間のキャンセル待ちが、まあ予想通りにキャンセルならずだったため、東京〜神戸〜米子という新幹線&高速バスを組み合わせての戻りだ。 出身は沖縄としてはいるものの、じつは、学生時からこういった年末年始での地方との行き来をした覚えがない。そもそも「沖縄」が地元であり、帰る場所という意識がなかったのだ。 こんな土地歴なので、「地元」がどこだかわからず、対
出てくるのか、出すのか。 言葉の選び方としては大きく2パターンあって、歌詞がメロディと同時に英語出てくるのか、それとも日本語で出すのか、という感じなんですよね 歌詞の書き方にまつわるエトセトラを11人のアーティストに訊ねる本『音楽とことば~あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』で、レオ今井がそう答えている。 帰国子女で日本とイギリスを行ったり来たり、だけど、基本は英語でものを考えて言葉がでてくるレオ今井。そんな彼が書きおろす歌詞には、「白樺の国」「火神鳴」のよ
渇いた夜だ。 少し寝れば、ジャブを繰り出すようにじわりじわりと襲ってくる頭痛もとれると思っていたけど、起きたところで痛みは変わらず、パサパサになった喉の渇きを感じたまま、体を起こして、冷蔵庫へ向かう。 冷やしておいた水を手に取り、ぐびりとやる。キッチンへついてきた猫たちの鳴き声に反応し、皿が空になっていることを確認し、餌を追加する。これで、少しは黙ってくれるだろう。 扇風機をつけて、作業机に向かって腰を下ろすと、さてどうしたもんか、と頭が真っ白だ。考える気力が失