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【短編連続小説】生理カウントダウン(3)-3日前-

 下腹部に鈍い痛みを感じる。私の感覚としては、鎮痛剤は生理痛にはまあまあ効くものの、生理前の痛みにはそれほどでもない。とはいえ、痛いものは痛いので、気休めに鎮痛剤を飲んで仕事をする。生理前の私の能力は普段の半分程度に落ち込むイメージなので、一刻も早く帰ってぼんやりしたいのが正直なところだ。でも仕事をする。仕方のないことだ。
 そんな私をよそに、向かいの席の百合草さんはいつものようにすごい強さでタイピングしている。お客さんにメールでも書いているのだろう。ときおりひときわ強く叩いているのはEnterキーだ。以前百合草さんの隣の席だったときに観察したから知っている。ダメージを与えられ続けているEnterキーはそのうち死んでしまうだろうと思っているのだけれど、まだ生き延びているようだ。
 タイピングの強さとは裏腹に、百合草さんは穏やかな人だ。周りが忙しさでぴりぴりしているときも取り乱さないし、飲み会でもくだらない話題に適度に加わりつつ、にこにこしながらビール一択で淡々と飲み続ける。人の悪口を言っているのを聞いたこともない。口にする言葉の大半が間接的であれ誰かの悪口である私とは大違いだ。何というか、心の持ちようが一定だなと感じさせる人だ。百合草さんと私はちょうど15歳違う。私も15年経てばそんなふうになれるのだろうかと考えたりもする。
 私が今の課に異動してきたのは1年前のことだ。職位としては私のほうが上なので、ひととおりの業務を把握した最近は百合草さんが作成した資料のレビューをすることもある。
 百合草さんの資料は誤字脱字が信じられないくらい多い。謎の変換ミス、意味不明な英数字の混入、なぜか途中で切れている文章など、バラエティに富んでいる。心の持ちようは一定なのに、作る資料は不安定極まりない。あの力強いタイピングから生み出されるのがこんなに軟弱な文章だなんてとショックを受けずにはいられない。
 百合草さんの中には自分で書いた文章を読み直して確認するという工程が存在しないのだ。だから私が毎回間違いを指摘することになる。何も言わずに自分で直したほうが圧倒的に早いのは分かっている。それでも根気よく指摘して百合草さんに直してもらうようにしている。
 だけど百合草さんの誤字脱字癖は一向に直る気配がない。見直しをしてから私にレビューを回してくださいねと何度も言っているのに、百合草さんは自分のぽんこつぶりを惜しげもなく披露し続ける。私にしてみればそれはとても恥ずかしいことなのだけれど、百合草さんにとっては屁でもないようだ。不思議なものだ。
 タイピングの音が止み、百合草さんが席を立つ。それと同時にメールを受信する。百合草さんがお客さんへ送ったメールだ。Ccには私が入っている。メールを開いて読み始めた途端に違和感を覚える。最初の文字が『j』なのだ。お客さんの社名の前に場違いな『j』がある。そうなのだ。百合草さんの誤字脱字はメールにも及ぶ。3通に1通は何らかのミスがある。あまりに頻度が高いので気づいたら注意するようしているのだけれど、これまたちっとも直らない。
 トイレにでも行っていたのか、ほどなく百合草さんが席に戻ってくる。
「百合草さん。さっき送ったメール、社名の前に『j』が入ってますよ。ちゃんと見直ししてから送らないとだめですよ」
 15歳年上のおじさんに何を言っているのだろうという疑問はもう浮かばない。いくらこまめに注意しても直らないことくらいとうに気づいている。でも私は言い続けなければならない。言うのをやめることは、私の中から百合草さんという存在を消し去ることと等しいからだ。それは百合草さんに対して期待も絶望も信頼もせず、百合草さんなんていう人はいないものとして仕事をするということだ。週5日、8時間以上顔を突き合わせているわけだから、そんな状態はできるだけ避けたいと思っている。だから言い続ける。
「あらら。ほんとだ」
 私の注意に対する百合草さんの反応はいつもシンプルだ。私が百合草さんに費やすエネルギーが10だとすると、百合草さんが私に返すエネルギーは1だ。
 百合草さんが再びタイピングを始める。私も生理前のぼんやりした頭なりに自分の仕事を進める努力をする。早く家に帰って布団にくるまりたいという強い欲求を抑えるため、チョコレートと温かいほうじ茶のラリーを繰り返す。チョコレートはどんどん減るのに仕事はまったく減らない。
 気づくと百合草さんからまたメールが来ている。これもお客さん宛で、私はCcだ。お客さんから頼まれていた資料が添付されたそのメールは『尾ネギいたします』という言葉で締めくくられていた。突然のネギの出現に私は混乱する。ネギ、ネギ、尾ネギ…。何のことだろうと考え、はっとする。百合草さんは『お願いいたします』と書いたつもりだったのだろう。しかし打ち間違えてしまい、それを変換した結果が『尾ネギいたします』なのだ。
 私は『尾ネギいたします』の言葉から目が離せなくなる。そして唐突に気づく。私の中から百合草さんがいなくなるかもという心配以前に、そもそも百合草さんの中に私は存在していないのだ。百合草さんが私に費やすエネルギーは1どころか0だ。私の言ったことは百合草さんには微塵も届かない。私はいないも同然だ。でも、それにしたって『尾ネギいたします』はどうかしている。
 もうだめだと席を立ち、小走りでトイレに向かう。4つあるうち一番奥の個室に入って鍵を閉めるや否や、私は泣き始める。涙が次から次へと流れ出し、いよいよ嗚咽まで漏れ出したので慌てて流水音を流す。
 仕方のないことだ。人の言うことはさらりと聞き流す。失敗は振り返らない。周りからの評価は気にしない。それが百合草さんの仕事におけるスタンスであり、他人が簡単に変えられるものではないことも分かっている。それでもたった10分前に注意したことと同じミスを目の前で堂々と繰り返されるのは、なかなかの打撃だった。いつもの私であれば怒りが先に立つか、機嫌がよければ『尾ネギ』って何だよと笑っているはずなのに、今日は悲しい。とにかく悲しい。今この世で一番悲しい思いをしているのは私に違いないと馬鹿みたいに強く思う。生理前だからだろう。ホルモンが私を悲しみで支配しようとしているせいに違いない。
 流水音はすぐに途切れてしまうので、立て続けにボタンを押す。そうしているうちに気持ちが落ち着いてきて、涙も止まった。でもきっとアイラインもマスカラも取れてしまっているだろう。トイレを出て鏡に映る自分の顔を想像して、また悲しくなってくる。もう帰りたい。

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