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「エモい」はすぐそこ

先日、私のふたりの師匠が述べる「エモい」というワードについてのnoteを書いた。読んでない人はぜひ。なかなか、ひとつのワードについて真剣に考える機会がなかったから、めちゃくちゃ頭使った。noteは、頭を使う良い習慣になりそうだ。こう見ると、普段頭を使ってないように思われるがそんなこともないのでご安心を。

今日私は、恋人と「そして、バトンは渡された」という映画を見に行ったのだが、タイムリーなことにとてもエモい瞬間があった。ちなみに本編ではない。いや。本編は、素晴らしいなんてものではなくエモいと感じられるシーンはたくさんあって大大号泣したので是非劇場へ。今回共有したかったのは、座席からの風景だ。私自身映画館に映画を観に行く回数がだいぶ減った。昔はよく行ってたのだ。ポップコーンもたくさん食べていた。

そして今回、エモいを感じた景色。それは上映中のこと。真っ暗な中で、たくさんのポップコーン中から、たくさんキャラメルがついてるやつを僅かな視界と手の感覚で探し当てて口に入れる瞬間だ。何だそれって思う人は思うだろう。でもこの瞬間が私にとって何とも言えない瞬間なのだ。なぜこの瞬間がエモいと感じたか。

エモい=自分の過去の経験から通ずるもので、より鮮明な情景が思い起こされ、自身の語彙力を超える瞬間のことであると前回学んだ。

幼少期から映画館で映画を観ながら、キャラメルポップコーンを手探りで探して食べることをしていた僕だからこその、僕だけの「エモい」瞬間なのだ。

「エモい」は、実は日常の至る所に転がっていて、今その瞬間、今行われている習慣が未来のエモいを形成していくものになるかもしれない。

いや。

未来じゃなくてもエモいって感じるか。

過去に通ずるものがない状況でも、エモいって感じることあるよね。

エモいも人それぞれ。人の数、人の経験の数だけきっと「エモい」は存在するから、エモいは今の時代で重宝されてるんだね。

そんなどうでもいいこと考えないで、とりあえず暖かい日の夕方の原っぱで草と土の匂いをほのかに嗅ぎながら横になろ。そしたら勝手に空に目がいくでしょ。

世界は広い。私たちが見てるものよりずっと広い。面白いこと、美しいことで溢れてるよ。きっと。

私の「エモい」はすぐそこ。あなたの「エモい」もきっと手を伸ばせば届く所にある。

浸ろうぜ。

頑張らなくていい。

笑って、新しい空気を肺にいっぱい吸い込もうぜ。

とにかく、「そして、バトンは渡された」をキャラメルポップコーン口いっぱいに放り込んで泣こうぜってことよ!!感想待ってます!



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