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仕事を辞めたいと思うこと?日に何度もあるよん。だってさ(笑)

10代の頃、30歳になる前に死にたいと思っていた。10代の私にとって、30歳は若くもなければ何の魅力もない、とうてい受け入れられない未来だった。もちろん、現実は、あっという間に30歳なんて通り越して、還暦間近なんだけれど。

仕事でそれなりのポジションだし、当然のことながら一番の年長者なものだから、誰も私のことを人間だなんて思ってないことはわかる。

先日、職場で年度替わりを控えての個別面談を行って「私に何か質問して」と言ってみた。「聞きたいこと何でもいいよ」とも。
パートと派遣が多いから、全部でたった5人の面談だったけれど、うち1名は「え、え、質問ですか、聞きたいこと、え~、え~」特別うろたえている風でもないのに、とうとうなにひとつ質問が出てこなかった。「あはは、私に興味なんてないもんねぇ。聞きたいことがないのは仕方ない」と言って笑ったが、内心、ふん、馬鹿、とつぶやいて鼻白んでいた。馬鹿なのだ。ただただ馬鹿。

質問ひとつできないなんてこいつはたぶん私のことをそのへんの小さい石ころくらいにしか思ってないんだろうな。でも私なら石ころにだって聞きたいことはある。
なんでここにいるの?誰の手に触れられたときが一番心地よかった?死にたいと思うことはある?それはどんなとき?蹴られると痛い?投げられるのとどっちが嫌?将来の夢は?誰のそばにいたい?動きたいと思うことはあるの?…
まぁいいや、26歳になるその女にとって、私は道にころがる石以下の存在なんだな。とわかった日。

あーあ、つまらないなぁ、と思う。

こんな馬鹿ばっかりの職場から逃れられないでいる。
何でかって?馬鹿ばっかりじゃあどうにもしようがないから誰かがやるしかなくて、今日やらなきゃならないことが終わればまた今日が始まって今日は延々と切れ目なく続いているから。

そんな風に、誰かがいろんな場所と立場で一生懸命働いているから、社会は存続している。だからこうやって私も60年近く生きてるわけだ。

他人を見下しているわけでもないし、自分を卑下しているわけでもない。
言うなればあれだ、そう、諸行無常ってやつ。

誰かが望むと望まざると、生かされているのだ。そんで、私はそこそこ健康で毎日ご飯も食べられて。これを幸せと呼ばなくて何と呼ぶ?
そして、それとて終わるときは終わるのだし。

それにしても、である。それにしてもこんなのは嫌だ。
もろもろあって塵芥がそこここに堆積している。ホコリを払わねば。
いいところにサカナクションのオンラインライブだって。
程度の差はあるけれど、少しでも生きづらさを感じながら一生懸命生きている人がいるのは心地よい。
一生懸命は美しい。
実は私も一生懸命に生きているんだもん。

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