スタッフストーリー#3 / どうせ仕事にするなら「自分の性格に合っている職業」を選ぼうと思った
青梅慶友病院で働く職員を紹介する『スタッフストーリー』。
第三弾として登場してくれたのは、ケアワーカーの栁下朝実さん。
東北地方ののどかな町から体育大学へ進み、教員を目指していたはずが、やがて青梅でケアワーカーという仕事に出合い、そしてまた新たな一歩を踏み出していくまでのストーリー。
人前に立つのが苦手だった
雪がたくさん降る福島の会津地方の出身です。
小学校の同級生は、学年で15人しかいないようなところでした。
当然、卒業するまでクラス替えもなく教室の中はずっと同じ顔ぶれ。
当時の私は無口で、人見知りな性格でした。
クラスにはたった15人しかいないのに、そんな中でも人前には立ちたくない、というほどで。
人前で話すことは苦手だったものの、身体を動かすことは好きだったという栁下さんは小学5年生のとき、友達に誘われてバレーボールを始める。
最初は何となく始めたバレーボールだったが、最終的に大学まで続けることになった。
私のように身長が高くなくても、一人ずつ役割があって、こんな風にチームに貢献できるんだ、と実感できたんです。
バレーボールをしている時間は楽しかったです。
もちろんつらい時期もありましたけど。
スポーツが好きだったこともあり、高校生の頃には漠然と「将来は体育教員もいいな」と考えるようになったという。
高校卒業後は体育の教員免許が取れる仙台大学体育学部へ進んだ。
仙台大学には介護系の学科もありましたが、私が選んだのは体育学科の方で、体育の教員になるつもりでした。
でも、大学生活を送りながら徐々にその意欲を失ってしまった、というか、
「私はそもそも、なんで体育教員になりたかったんだっけ?」と迷いが出てきて。
そろそろ教育実習、という時期になり、ようやく自分の性格について見つめ直してみたんです。
その中で気になることが出てきてしまって。
「そういえば私、人前に立つのが苦手だった」 って。
世の中には人前で話すことが苦手な先生だっているかもしれない。
それに今は不得手でもがんばって克服するという道もある。
でも、どうせ仕事にするなら
「自分の性格に合っている仕事」
に就いた方が楽しく働けるんじゃないか、と栁下さんは考えた。
普通に就職活動をしてみました。
一般の企業にエントリーして、内定もいただきました。
でもなんか違う、と。
そんな状況で大学の先生に相談したら、
「東京にちょっとおもしろい病院があるけど見学だけでも行ってきたら?」
と紹介していただいて、インターンシップに参加できることになったんです。
インターンは3日間だけでしたが、プログラムを終えて大学へ帰るときにはもう決めていました。
「ここで、働きたい」って。
特に介護の仕事への関心が高かったわけではない。
そもそも介護の勉強をしてきたわけでもなく、知識も経験もない。
なのにそのたった一度のインターンで入職を決めた。
理由は何だったのだろうか。
短期のインターンですから、たいしたことはできません。
患者様のとなりに座ってお話に耳を傾けるくらい。
それでもその時間が、私には心地良かったんです。
本来は患者様にそう感じていただく立場なんだと思いますが、私の方が穏やかな気持ちになれて、すごく楽しい時間だったんです。
こういう場所で働けたら幸せかもしれないと思って。
そこから介護への関心が強くなっていきました。
苦戦したのは“介護”の仕事ではなく
2017年、大学を卒業した栁下さんは青梅へやってきた。
どうしても東京で働きたいとか、地元がいいとか、そういう働く場所へのこだわりはなかった。
大学時代に一人暮らしを経験していたこともあって生活面での不安もなかった。
しかし、介護の仕事に対しては経験も知識もない。
こんな自分に果たしてできるのだろうか、という不安を抱えながら
社会人生活をスタートさせた。
いま振り返ると介護の仕事とか、そういうことではなく、とにかく社会人として未熟で、正しく敬語が使えないとか報告・連絡・相談がうまくできないとか・・・・。
私が苦労したのは、きっとどんな仕事にも共通する社会人の基礎のところです。
不安に感じていた介護の技術や知識は、プリセプターの先輩はじめ、病棟のみなさんが教えてくれました。
でも、きちんとした社会人になったか、と言われると今でもちょっとあやしいです。
介護の仕事は一から教えてもらえる、とはいっても栁下さんにとっては、ほぼ初体験のことばかり。
「そうか、ここまで患者様を大切にケアするんだ」と驚くことも多かったという。
「整容」といって、毎日身だしなみのお手伝いをさせていただくのですが、例えば男性のひげそりなんてしたことなかったですし、自分がされた経験もないから最初は苦戦しました。
目拭き綿で目の周りをきれいにする時も、目を傷つけないようにする必要がある。
整容の目的は患者様をきれいに保つことではあっても、できる限り不快な気持ちにならないように、心地よく過ごしていただこうというこだわりがすごくて、青梅慶友病院が考えるケアの奥深さに驚きました。
それから職員のみなさん、誰もが感じ良く接してくれることも、うれしい驚きでした。
私の場合、インターンシップを経験していたので、そのときはお客さんみたいなものだからかな、と思っていたのですが、職員の一員になった後も、院内ですれ違うスタッフがどなたも笑顔で挨拶してくれるんです。
ああ、大切にしてもらってるんだなと実感します。
青梅慶友病院で働いてみて何を感じるか、と職員に質問すると「みんなが笑顔で挨拶してくれることに驚いた」という答えが返ってくるケースは実際に多い。
東京でも変わらない
それでは、幼いころから暮らし慣れた東北を離れて、東京での生活に対してはどう感じているのだろうか。
休日は自宅でのんびりすることが多くて、最近はNetflixとかYouTubeのせいで、ますます外出が減っています。
それに猫とまったりするのが一番幸せを感じる時間ですから、私の場合は日本中どこに住んでも生活スタイルは変わらないのかなって思います。
それでも時々は買い物でふらっと東京へ遊びに行ったりしますよ。
(注:青梅市は東京都ながら都心へ出かけることを「東京へ行く」と言ったりする)
これからのこと
ケアワーカーとして青梅慶友病院の一員となり、6年が経とうとしている栁下さん。
「これから」のことについて、いま何を考えているのか。
最後にそんなことを訊ねた。
実は看護師になりたいと思い立ち、この春から看護学校へ通います。
この病院はケアワーカーから看護師になったり、リビングサポーターがリハビリの専門資格を取ったり、働きながら職種を変える職員が大勢いるので、
決して珍しくはないのですが、いざ自分のこととして考えると、
経済的なこととか、
自分にできるだろうかとか、
不安なことはたくさんあって、本当にたくさん悩みました。
それでも栁下さんは最終的に看護師を目指そうと決めた。
何が背中を押したのだろう。
病棟ではケアワーカーと看護師がペアになることも多いのですが、看護師さんたちの知識ってすごいんですよね。
私が質問すると、必ずきちんとした回答が返ってくるんです。
この人たち本当になんでも知ってるんだって、ずっと憧れのような気持ちは持っていました。
自分が看護を学んで知識も身につけたら、あんなふうにもっと自信を持って働けるのかなって。
それで看護師を目指すことを決心しました。
看護学校は昼間部に通うので、春からの勤務は朝や夕方の時間だけ。
少し業務内容も変えて、学生をしながらこの病院で働かせてもらう予定です。
何年後かの青梅慶友病院。
病棟で新人スタッフの質問に優しく、そして“自信を持って”答えている看護師の姿を見かけたら、
それは、栁下さんかもしれない。