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夫の精子と会ってきた

ちょっと気になる出血があって、お腹も妙に痛かったから、産婦人科に行った。
結局タイミングがずれた生理というだけで体は問題なかったのだけれど、この病院に来るといつも出産の心配をされる。これがなかなか精神的にしんどい。

「妊娠するにはもういい年だし、結婚してこれだけ年月が経つのに自然に出来ないならどうするか考えた方が良い」そんな話をされる。

言いたいことはよくわかる。将来的なことを考えて心配してくれているのもわかる。

だけど正直なところ、放っておいてほしいと思う。

私は自分の健康の確認のために来院したのであって、妊活相談に来たわけではない。
なのに気づけば、避妊の有無とか性交渉の頻度とか色々聞かれて、年齢とともに増える出産リスクのご丁寧なレクチャーを受けている。
だから病院には来たくなくて、前回の子宮ガン検診は人間ドックにオプションでつけて(市からの補助金対象外になるので指定の病院で受けるよりちょっと割高になる)検査施設で受けたくらいなのに。

出産に関して、出来たら出来たで、出来なかったら出来ないで良いと私は思っている。
すごく欲しいということもないし、絶対に欲しくないというわけでもない。(そしてそれはこの先生にも毎度言っている。苦笑されるけれど。)

結婚した人たちはそんなにみんな確固たる意志を持っているんだろうか。

出産の決断のみならず、妊娠以前の産まない宣言の文章が反響を呼んでシェアされたり、主義主張としての意見や意志まで求められることが多いこのご時世、選びきれない自分は我ながら無責任かもしれないなと思いつつ、どちらがいい!って決められないのだ。
どっちかだったらより幸福ってことも不幸ってこともないだろうし、思いがけず授かったらそれから意を決して死ぬ気で育てたら良いんじゃないかと。

いろんなことにすぐヘコむたちで、大人になった今も日々のちょっとした失敗を思い出しては、いたたまれなくなったり、消えてしまいたい・・・なんて幼い気持ちを抱えながら生きている。そんな私が次なる“生”を生み出す親=大人役に回ることに尻込みしてしまうというのもある。

友人の子供たちと会うと、大変だなと感じつつも可愛いなと思う。そして親になった友人たちは眩しく見えるし、その頼もしさに胸を打たれる。
だけど、他の動物たちと暮らす友人の家に行った時のような「私も一緒に暮らしたい!」という情熱的な思いにまでは至らないのだ。(私はすごく動物が好きだ、そして人間がちょっと怖い)

子供がいたらいたでめちゃめちゃ可愛がりそうで、親バカな自分を想像してうんざりすることはあるのだれど、積極的なモチベーションが湧いてきたことは今の所、ない。

そんな私が不妊治療なんて厚かましいわっ。そう思ってきたし、今もそう思っている。

でも、夫は子供が欲しいらしい。
滅多に要望のない夫の願いなので応えてあげたいなと思いつつ、躊躇する。
何度も話し合ったけれど、私が決断できず結論が出ない。
時間ばかりが経っていく。(そして卵子は毎月せっせと順調に在庫を減らしている)

そんな私の悶々とした思いをよそに、診察室でご丁寧に行われたレクチャーの後、気づいたら不妊治療のベルトコンベアーに乗っていた。
(お腹が痛すぎて油断していたのかもしれない)

基礎体温をつけることになり、生理後に再来院するように、と。
翌週病院を訪れ、排卵時期を確認したら、今度はホルモン関係のテストや精子関連のテスト、タイミング法でできなかった場合のステップを次々と説明された。

「フーナーテストやってみます?よかったら、この日にちの間で来てください」と言われる。

フーナーテストとは、膣内に入っている精子の状態を見る試験のこと。
性交後数時間以内に来院して、無精ではないか?動いているか?などチェックする。
(え、なにそれしんどすぎる・・・・と思ってしまった。しんどいとかめんどいとか思う人間が子作りしてよいのだろうか・・・。)

でもなぜか今回はやらなきゃいけない気がした。
意思で決められないなら、流れに身を投じること、抗わないことがせめてものフェアな行いであるような気がしたのだ。

夫に情報共有したら、「お願いします」と言われた。

それで、夫の精子をお腹に入れて、ドナドナの運び屋気分で病院を訪れた。

私の体の中から取り出された、夫の分身たち。
ガラスの板の上に乗せられ、400倍の顕微鏡モニターに映し出される。

「ここに映っているのが精子です。みんな元気そうですね」と告げられた。

指がさし示すものを眺めると、教科書で見覚えのあるおたまじゃくし姿がモニターにあった。
震えるような細かな動きで画面の中を縦横無尽にスイスイ泳ぎ回っている。

「なんだか可愛いなぁ」そんな風に思ってしまった。

夫の分身たちを見て、そう感じることのできた自分に少しホッとした。
冷静に淡々と結果を見るだけで、きっと何にも感じない気がしていたのだ。

でも取り出されたこのチビたちは、卵子に出会えずもうすぐ死ぬ運命なんだな。そう気づいたら、なんだか気の毒になった。生かしてあげたいなと思った。

夫の思いを背負って出て来るこいつらのために、ちょっと頑張ってみるのは無しではないのかもしれない。

自分の中で、人のかけらに対して初めて愛しむ気持ちが生まれた気がした。
この感覚、これからずっと残っていたらいいのになと願った。


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