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初めて長男が他の子と「違う」と感じた瞬間|自閉症児の子育て

すごく些細な瞬間で、でも私にとってはとても印象的な出来事だった。
どこかに記しておきたいと思っていたのだけれど、うまく言語化できないくらいの小さな違和感で、あまり共感してくれる人もいないのではないか……。と、気づけば、その出来事から4年が経っていた。

4年経った今でも、この日のことは鮮明に覚えている。私にとってはこの日の出来事が、それまで何となく見過ごしていた長男に対する違和感をはっきり意識させるきっかけになったのだと思う。

長男が0歳のとき、いわゆる”マタアカ”でSNSで知り合った複数人のママ友とよく遊んでいた。赤ちゃんのころの長男に、他の子との違いを感じることはなく、初めての子育てへの不安や楽しみを共有するだけの関係だった。

次男を出産したのが、長男が1歳半を迎える数日前のこと。
それからしばらく二人育児に追われ、ママ友と会う余裕がなかった。次男が生後6か月を過ぎた頃、やっと生活に余裕が出てきたと思ったのも束の間、今度は長男の癇癪が酷くなり手に負えないと感じることが増えていった。

そんな中で「うちに遊びにおいでよ」と誘ってくれるママ友がいた。
「うちの子、今すごくややこしいんだけど、それでもいいかな……」
そろそろ3人の生活から脱却したい気持ちと、一度癇癪を起こすと手が付けられなくなる長男と、まだ目が離せない次男を一人で見れるのだろうかという不安が入り混じる。
この頃はすでに初めての場所に入れない、所かまわず突然の癇癪で地面にひっくり返ることがあり、ママ友宅に入れない可能性すらあった。

「うちも最近やばいから、大丈夫!お互いで見合いっこすればいいよ」
めちゃくちゃ不安だったが、ママ友の言葉に甘えてお邪魔することにした。心配をよそに、ママ友宅につくとすぐにリビングのおもちゃに飛びついた長男。大好きなトーマスのおもちゃがあったことが、救いだった。

集まったのは私たちを含めて3組の親子。長男以外の2人とは半年ぶりの再開で、ママ友の子どもは”赤ちゃん感”が抜けて、幼児へと変わっていた。母親とコミュニケーションをとっている様子を見ると、まだ言葉を話さない長男の”赤ちゃん感”がとても際立って感じられた。

なんなんだろうか、この違いは……。
赤ちゃんのときには感じなかった”違い”を、そのときはっきりと感じた。

そろそろお昼ごはんにしようと、各自持参した食事を食べ始めた。長男に用意したのは家で作ってきたお弁当。ママ友の子どもたちは、コンビニのおにぎりやうどん、お惣菜だった。

長男は、外で買ったものを一切食べなかったので、コンビニおにぎりを頬張っている様子に静かに衝撃を受けた。

「お弁当つくってえらいねー!コンビニおにぎり食べれるようになったら、もう楽で作るのがめんどくさくて……」
「あー……そうなんだ。うち、これしか食べなくて……」

食事の後、またしばらく遊んでからおやつにしようと、ママ友が「これでいいよね~」と持ってきたのはポップコーンだった。
個別には分けず、テーブルの中央にパーティ開けをしたポップコーンと、各々が持ってきた子ども用にジュース。子どもたちはすぐにテーブルに寄ってきたが、やはりここでも静かに衝撃を受けた。

長男以外の2人は、ポップコーンを食べながら、ジュースを飲みながら、母親と「おいしいね~」「どうぞ~」とやりとりをしている。
少し飽きたら遊びに行き、子ども同士で何かを共有しあい、またテーブルに戻ってきてポップコーンを食べて、ジュースを飲んで、母親とコミュニケーションを取る。そんな感じだった。

長男はと言えば、まず紙パックのジュースを一本飲み切る。その後、ポップコーンをひたすら食べ続ける。「そろそろおしまいにしよう」と声をかけるも無反応。目の前からポップコーンがなくならないから終われないのだ。
ママ友が気を遣って、また後で食べようとポップコーンを下げてくれた。

一体なんなんだろうか、この違いは。このなんとも言葉にできない違和感は、どこから来るのだろうか……。

その後も、ママ友の子たちは共同遊びとまではいかないまでも、何か一つの遊びを親を挟んで一緒に楽しむ様子が見られたが、長男に関しては一人で自分の世界を楽しんでいるようだった。

この日初めて、長男と他の子との「違い」をはっきり感じた。
はっきり言葉にはできなかったが、確実にそこには「違い」があった。それが「自閉症」と分かるのは、それから半年以上経ったあとのことだ。

この日から、長男のと他の子との「違い」について、悩み考え続けるようになる。次第に「私の関わり方が悪いんだ」「私が母親だから、こうなんだ」と自分を責めるようになっていく。

もちろん、養育者の育て方で自閉症になるわけではない。生まれ持った気質であり、脳や神経の働き方の違いから、多数派とは違う行動となるわけだが、当時の私にはそんな知識はなかった。
ずっとハッキリとしない違和感を抱えながら子どもと向き合う日々は、決して心穏やかなものではなかった。

おまめ

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