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明日も生きる言い訳を



「私は、死を心待ちにしてるんです。」




14歳。午後7時。


赤くぼやけた横断歩道で
鼻の先を掠めたダンプカーが、私の分厚い仮面を剝ぎ取った。

なんで今まで気付かなかったんだろう。

うまく生きようとするから、うまく生きれないのだ。

どうせいつか終わりが来るなら
いちばん楽しくて、いちばん笑ってて、いちばん輝いてるときに。


今この瞬間から新しい人生を。
一度死んだのだから、もう怖いものは無い。

このおまけの人生にいつ終わりがきても後悔しないように。


物心ついた頃から、人の感情や変化に敏感な子供だった。

言葉の中の嘘や、隠したがっていることもなんとなく分かったり
表情で、その人が何を求めている、とか
体調不良の内容まで大まかに読み取ることができた。

人の行動や考えを察して行動できるというのは、あらゆる場面で役に立つことが多かった反面、知りたくなかったことまで知ってしまうというのは、
幼かった私にとって重荷だった。

みんながやりたく無さそうな仕事をやってたら、いつの間にか
仕事を頼んだら引き受けてくれる人、になってて
それでも「頼りにしてるよ」の一言は麻薬だった。


中学生を卒業するまでに
いじめも経験したし、前の日まで交際していた人が建物の3階から飛び降りたり、いろいろあった気がするけど
今思い出そうとしてもその頃の記憶が抜け落ちていて

もしかしたら夢だったのかもしれない、とすら思う。




16歳で鬱になった頃から、人と距離を置くようになって
「人に期待をしない」を習得した。
私はひとりで生きていく。誰も私の心を分かってくれる人なんていないんだから。

自分を取り繕っている人の声が耳に入ると、眉間に皺が寄るのを我慢できなかった。
あれもこれも嘘。

その頃はヘッドホンが無いと不安で、動悸と手足の震えが治まらなかった。
人と会ってるときは、無意識に呼吸が浅くなって3時間で頭痛に限界が来る。
人前での食事が日に日に難しくなって、誰も来ない階段でゼリーを飲めれば良い方だった。


結局私は、人からの目線に囚われたままだった。



18歳になるまでの間に、自分を守りつつ人とうまくやっていける距離感を掴めるようになった。

人に期待しない、は既に得意になっていたし、
あらゆる人と会話をする時も、感覚のセンサーのスイッチをOFFにすることで、笑顔での会話は得意だった。

学校のプロジェクトではリーダーとして慌ただしくも学びの多い活動をさせてもらって
バイトでは、仕事はもちろん、パートさんと管理職の橋渡しとして頼りにしてもらっていた。

学校とアルバイトに追われて
センサーのスイッチをOFFにしている時間が一日の大半を占めるようになって
人に期待しない。深読みしない。受け取らない。


いつの間にか、心が動かなくなっていた。



人からの目線は気にならなくなっていた。
それどころか、感情の起伏も徐々に小さくなって、自分が求めているものすら分からなかった。

私は何のために生きてるんだっけ。

呼吸は浅いまま。




漠然と日々をこなしている内に19歳になった。

頬に当たる冷たい風に思わず目を瞑る日に
人手が足らないから、とお願いされ、
お世話になってる人からの頼みだし仕方なく。と出向いた場所で、

彼と出会った。

動物に例えると、野良猫。

他を寄せ付けないオーラがある人だと思った。
境界線があって、それ以上踏み込まないでくれ、と結界を張っている感じがして。
無口で人に頼らず大抵のことを自分でこなして、ひとりでやっていけます、みたいな彼が

私には、寂しさを誤魔化すための強がりのように見えた。



彼と私のコミュニケーションは、多くが無言だった。

作業中に、「あの道具取ってくるの忘れたな」と思っていたら
通りすがりにその道具を置き逃げしていく彼に驚いて
お礼を言いそびれることが何度もあったし

読まれるだけだと悔しくて

仕返しに、彼の行動を先読みして
次に必要そうな物品を置き逃げすることも少なくなかった。

お互いに目線や頷きだけでやり取りすることがほとんどで
そんなやりとりができる彼の存在が私にとっては貴重だった。

数少ない言葉からは、嘘を感じなかった。

期待せずにはいられなかった。
「彼と私は、傷が似ているのではないか。」


ずっとのどに詰まっていた何かが無くなって
呼吸がしやすくなった。



彼もまた「自分のことを分かってくれる人なんかいない」
と思っているとして

「私は分かるよ」なんて気安く言おうもんなら
俺の何が分かるんだ、と扉を閉ざされることは容易に想像できた。

だから
全てを分かることはできないかもしれないけど、なんとなく分かるような
気がする、みたいな言葉しか頭の中に用意できなくて

それも言葉にして伝えることは無く
無言の会話が続いた。


テレパシーでは伝えづらい業務連絡は
彼が連絡不精なことを考慮して
くつ箱かロッカーにメモを置いておく方法がメインだった。

返答は無し。
彼がその内容を踏まえて滞りなく作業しているのを見て
伝わってることを確認するスタイル。


しばらく経ったある日、私が作業を終えて帰ろうと
出口に向かって回れ右をしたら
目の前に、白い袋を差し出した野良猫くんが立っていた。

「これ。みんなでどうぞ、ってもらった差し入れ。
 いつも食べずに帰ってるから、良かったら持って帰って。」

過去最長の彼の言葉に驚きすぎて、まともにお礼を言えてなかったことを
数日後思い出して
【いつもありがとう。】
とLINEを送ったその日が、彼の誕生日だったことを
後日友人から聞いた。




野良猫くんの存在が私の中で確実に大きくなるのを感じるのと同時に
それが怖かった。


ひとりで生きていけるように
誰かに頼らなくても、自分ひとりで荷物を持てるように

そうやってここ数年やってきたのに


お気に入りが1つ増えると嬉しいけど
「特別」に気付いてしまうと
それを失ったときのことを考えて怖くなるから
気付かないようにしてきた

そのことを思い出すということは
私にとって野良猫くんはとっくに特別な存在で

「この人にとって呼吸しやすい場所になりたい」



友人同士の会話で
好きな人いないの?と聞かれたときに浮かぶのは野良猫くんだけど
好きというよりは「大切」で
2人の世界を誰にも知られたくなくて
大切な存在があることすら誰にも言わなかった。


「好き」を伝えることは、時と場合によって
「嫌い」を伝えることよりも
人を傷付ける原因になり得る。

好きに気付く前に
大切で特別、になった。




野良猫くんと初めて会って10か月が経った頃
相変わらず会話は業務連絡しかしないものの、言葉で伝えられるようになったのは成長だと思う。

会話の長さも新記録更新が続くようになった。


バレンタインを言い訳に作ったお菓子を渡すときは

「バレンタイン、あそこのテーブルに置いてあるから、良かったらどうぞ。」

という何とも事務的なやりとり。

その翌週、私が1人になったタイミングで名前を呼ばれ、振り返ると
「お菓子、めっちゃ美味かったです。ありがとうございます。」
と野良猫くん。

過去一の動揺を隠せてなかったと思うけど
あらゆる心配事がすべて吹き飛んだ。


頑張って彼へのバレンタインがテーブルにあることを伝えてよかった、
と思いつつ

決意が固まった。

伝えないと絶対に後悔が残ると確信があった。

いつ終わりが来ても後悔しないように。



新年度からの新しい生活に向けて、彼との唯一の接点だったチームを卒業することは、出会った時から決まっていた。

チームでの活動が最後の日、遅刻常習犯の彼のくつ箱に
「ロッカーの中」とだけ書いたメモを入れて
ロッカーの中には、3枚の手紙が入った無記名の封筒を入れておいた。

もし、誰か他の人に、私が彼に手紙を渡したことが知られたら
2人の世界が壊されてしまうような気がしたから。

名前を書かなくても、そんなことをするのは私しかいないことは
察しがつくだろう。ついてくれ。



3枚にしたのには理由がある。

感謝を伝える手紙に
傷が似てるんじゃないか、と感じたこと
野良猫くんの気持ちが少しは分かるような気がすること
を書くかどうか迷って、手紙を5回書き直した。

結局
1枚目には感謝を伝える内容
2枚目には傷が似てるような気がするという内容
3枚目には彼のこれからの人生を応援しているという内容
を書いた。

もし2枚目の内容が私の勘違いだったら
その紙を抜いて2枚の手紙としても読めるように。



その日は、ずっと彼の視線を感じながら気づいていないふりをした。


帰り際、袖で目元を拭う彼の後ろ姿を見つけたけど
挨拶する気にはなれなかった。



新年度、違う県に引っ越して寝起きの天井に見慣れた頃に
昨晩みた野良猫くんの夢を思い出した。

夢の中では会話が長く続いていたことに思わず笑ってしまう。



ー忘れてほしくないな



人間いつかは良い思い出も忘れてしまうけど
ただの作業仲間として忘れられるのは寂しすぎる。


脈拍に合わせて震える指で送信ボタンを押した。


「仲良くなりたい」




20歳の備忘録として






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