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アラジン(1992) 「本当の自由とは何か」

音楽・ストーリー・全てのキャラクター、どれをとってもディズニーの良さが詰まった不朽の名作。

もしディズニー映画を一回も見たことない人がいて、まず一つ勧められるとしたら、僕は間違いなくこのアラジンを推します。誰が見ても楽しめる純粋なエンタテイメント作品であると同時に、見れば見るほど、考えれば考えるほど、隙のなさに感動してしまう。「昔は良かった」では決してない、今なお輝きを放ち続ける傑作です。

「アラジン」のテーマを一言で言うならば、「本当の自由とはなにか」だと思います。劇中では、「自由になりたい」という言葉が何度も出てきますが、物語が進むにつれて、その意味が変化していく。それぞれのキャラクターの成長はもちろん、物語全体を通して、「本当の自由」についての一つの答えを与えてくれます。外出自粛によって多くの人が「不自由さ」を感じる今こそ、アラジンを通して自由とは何かを考えてみたいと思います。

「それでは早速ワタクシが、ご案内いたしましょう!」(舞台版ジーニー冒頭の台詞より)

まず語るべきはアラジンの世界観を形作っている音楽です。全ての音楽が映像と完璧にマッチし、ストーリーを伝えるとともに、観客の感情を動かします。音楽に乗せて、キャラクターたちが繰り広げるドタバタ劇やコミカルな表情。アラジンは「ギャグ」の多さにおいてディズニー映画でもトップクラスで、観客を全力で楽しませてくれるのですが、音楽の中にテンポよく入れ込むという構造によって、多すぎるギャグを食傷させずに成立させています。また、楽曲をそれ単体で完成させないことによって、作品を「主張の道具」にしていないことにも注目です。ミュージカルの歌は、下手をするととても主張の激しい、説教くさいものになってしまうのですが、アラジンにはそれがなく、純粋なエンタテイメントとして楽しむ自由を与えてくれます。唯一「ホールニューワールド」は単体で成立する(つまり、カラオケでも歌いやすい)楽曲(というかグラミー賞の最優秀歌曲賞をとってしまうくらいのズバ抜けた曲)で、アラジンの中では浮いている存在。それを利用して、これまでのギャグシーンから一気にロマンチックなムードへの転換点として機能させています。作品全体の作曲はディズニー音楽の巨匠アラン・メンケンですが、リトルマーメイドからタッグを組んでいた作詞家のハワード・アッシュマンが制作途中で亡くなってしまい、急遽ティム・ライスを起用、作品のコンセプトも変更して、分かりやすいラブストーリーに仕上げたという経緯があります。「アラビアンナイト」「フレンドライクミー」「アリ王子のお通り」がアッシュマン、「ホールニューワールド」「ひと足お先に」なんかがティムライスです。余談ですが、元々のコンセプトに近い内容で、アッシュマンが作詞したいくつかの楽曲を復活させたのが、舞台版アラジンです。より深くアラジンの魅力を感じられること請け合いですので、是非アニメ観賞後は舞台版もご覧になると良いと思います。

物語の始まりはゆらめく炎のビジュアル、そして名曲「アラビアンナイト」。妖しげなのにスケールの大きさを予感させ、スムーズに語りへと移行するミュージカルとして完璧な入り方です。スケールの大きなオープニング楽曲でいうと、ライオキングの「サークルオブライフ」が挙げられますが、あちらが大自然の雄大さを表現している一方で、「アラビアンナイト」はもっと物語的で、「魔法っぽさ」を感じさせます。冒頭はディズニーお決まりの「語りべ」スタートですが、これまでの「絵本を読みながらめくっていく」という始まりではなく、妖しげなオッサンがカメラワークで遊びながら昔話を語るという仕組みです。ランプを持っていることや服装の色味から、このオッサンは自由になったジーニーであることが予想されますが(舞台版ではより直接的に、実写版では伏線を意識した見せ方でしたね)、アラジンという作品自体がジーニーの魔法で作り出された世界であり、ジーニーが観客である私たちを楽しませようとしていると捉えることもできます。言うまでもなく、「ジーニー」=「ディズニー」であり、ディズニーという魔法使いが、人々の願いを、夢を叶えるんだという、小気味良くも、作り手のプライドを感じさせる始まりです。

続いて語るべきはキャラクターです。アラジンのキャラクターには本当に無駄がない。王様は丸、ジャファーは三角、絨毯は四角のように、キャラクターのデザインにもモチーフをもたせ、それぞれの個性を際立たせています。それぞれに魅力がありますが、特筆したいのは今作のヴィランであるジャファー。王国の支配を目論むまさに「ワル」というキャラクターでありながら、どこか人間くさくて憎めない。お気楽な王様の下で働く大臣という役所が、日頃の苦労を感じさせますし、ジャスミンの色仕掛けに簡単に引っ掛かってしまうところもおじさんの悲しい性ですよね。終盤でジャファーは「アバヨ、王子様」を歌いながらアラジンをゴルフスイングでぶっ飛ばすんですが、原曲名が「Prince Ali (Reprise)」であるように、「アリ王子のお通り」の替え歌なんです。機嫌が良いから、ついつい替え歌口ずさんじゃうなんて、オヤジギャグそのものじゃないですか。そこにイアーゴとの悪ガキのような掛け合いも相まって、ヴィランの役割を果たしながらも、観客に「憎しみ」という負の感情を起こさないようにしてくれます。こういうキャラクター造形は、ディズニーの最も得意とするところ。多くの「敵」が、「ヴィラン」として愛されている理由です。倒した時のカタルシスを求めるために、敵役への憎しみを向けさせるのではなく、真に「憎めない」存在としてキャラクターを作り上げていることに、愛情を感じます。

最後に、本作のテーマである「本当の自由とはなにか」についてです。「アラジン」では、登場人物の多くが「自由への憧れ」をもって描かれます。まず主人公であるアラジンは、両親に先立たれ、貧乏故に泥棒として生活しています。常に「盗人」「ドブネズミ」と蔑まれ、内心は深く傷つきながらも、「生きるために仕方ない」と自分に嘘をついて無理やり前向きに生きようとしています。一方で本作のプリンセス、ジャスミンは、周りから王女という肩書きでしか見てもらえず、一人の人間として扱われないことに悩みます。ジャスミンにとって、王女という立場が自由を阻む枷になっているのですが、誰もが憧れる「ディズニープリンセス」を束縛と捉えて、愛よりも自由を求めているのが面白いところです。

アラジンとジャスミンは、身分は違っていますが、それぞれ生まれや運命からの自由を求めていて、だからこそ2人は惹かれ合います。「偶然森で王子様と超絶美女が出会った」わけではなく、言葉にならなかった現状への不安を、お互いが「囚われの身」と表現した時、スパークが起きたわけです。このプロットによって、アラジンにおけるロマンスが、単なる「憧れ」ではなく「共感」を持って受け入れられるよう設計されています。

制度や身分など「与えられたこと」からの自由を求めるジャスミンと、お金や家などが「与えられないこと」による自由を求めるアラジン。結局のところ「ないものねだり」なのでしょうか。魔法で求めるものが手に入れば、自由になれるのでしょうか。

人間誰しも、本当の自分の居場所はここなんだろうか、という不安を抱えています。他人の場所が羨ましく感じて、もっと自分が自由になれる場所があるのでは?と夢想します。誰か私を自由にしてよ!と願います。でもアラジンは、本当の自由が「魔法」によって与えられるものではないことを教えてくれます。ジーニーの魔法によって王子様になったアラジンは、新たに手に入れた王子という身分に縛られ、自分を見失った結果、多くの大切な人を傷つけてしまいます。そうしてようやく、嘘をつくと、その嘘に縛られ、自由ではなくなってしまうことを知り、誰かに本当の自分を見てもらうとするのではなく、自分で本当の自分を見つめることが大事だと気づくのです。ここに、主人公アラジンの大きな成長があるとともに、作品のテーマが語られています。

本当の自由は誰かによって与えられるものではない。どんな権力を手に入れても、欲望は尽きることがないのです。そして最後は自分の欲望に支配されて自由を失ってしまいます。ランプの精になってしまったジャファーのように。そうではなくて、新しい視座、他者の視点、世界の見方を変えて自分を見つめ直せば、自分を縛っていた自分から自由になれる。環境や境遇への不満で曇っていた目が、すぅっと晴れて、本当の自分に出会うことができる。そうして初めて、どこか他の場所へ行きたい、という漠然とした希望ではなく、自分の意思で前に進めるのだと思います。

一方で、「自由」とは、幸せになるための手段であって、目的ではありません。ジャスミンは本当の自分を見てくれる人を求め、ただ鳥のような自由に憧れていました。けれど、アラジンと出会い、彼との「真実の愛」に気付いてからは、自由への憧れは描かれなくなっていきます。彼女もまた、王女という立場に最も固執していたのは他ならぬ自分自身であることに気付き、他者からどう見られるかよりも、自らが「人を愛する」ことが幸せにつながることを知ったのです。

自由という大きなテーマを描きながらも、最後はディズニーの王道である「真実の愛」に繋げていくこの巧みさ。これでもかと魔法を使いながらも、決してファンタジーではない希望の与えかた。ディズニーにしか出来ない、ディズニーならではの人間讃歌だと思います。このようなテーマ性を持ちながら、あえてそこを主張せず、キャラクターや楽曲といったコンテンツのみでも勝負できる強さがある横綱相撲の名作。今一度、ご鑑賞してみてはいかがでしょうか。

字幕版も吹き替え版もどちらも良いですが、どちらかと言えば吹き替え版でしょうか。ちなみに2019の実写版はアラジンという名前の全く別の映画ですのでご注意ください。そちらはまた別の機会に…。


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