弟子になる才能
自分には人を尊敬する才能がない
そんなふうに思ったことはないだろうか?成功者には必ずメンタ―がいる、という有力な仮説がある。
※「メンター」という言葉を辞書で引くと、指導者、コーチ、助言者のことを指す。
ビジネスの世界にはメンタ―業と呼ばれるものが存在する。
有名な経営者、いわゆるプロ・ビジネス・リーダーやCEOが、自分のセミナーを開いたり、問題を抱えた起業家を弟子にとり、熱血指導しているのだ。
某ファーストフードチェーンの元社長など、有名である。
個人的には、メンターという言葉には警戒心がある。
そもそもの話、本物のメンターというのは稀だと思う。すくなくとも、派手な人物ではないはずではないか?
その人は、世間の人々の話題にあがることはないし、むろん自分から注目を集めようともしない…
世間から注目をひくことに熱心で、積極的にメディアのスポットライトを浴びようとする人が良いメンターになれるとは、到底思えない。
「私が君のメンターになりましょう」と言って、その役割を喜んで引き受けるような人たちは、まず間違いなく、偽物だろう。
本物なら、メンターになってくれと頼まれたら「他をあたってくれ」と言うだろう。でも、そういう人こそ本物だと思う。
宮崎哲弥という評論家がいる。一時期、彼の著書をよく読んでいた。彼は仏教についておおくを語っていて、ある本に感銘を受けた。
どうやら仏教界には本物といわれる人が確かにいるらしい。有名人ではないが、まったく無名でもない。彼らは孤独でもなく、ふつうに静かな生活を送っている。
イーロン・マスクやビル・ゲイツ、孫正義のような人物は、彼らには業績も才能も桁違いにあるが、きっとメンタ―には向いていないと思う。
また、セレブ御用達のオンラインサロンは要するに気晴らしのビジネスだ。 楽しいし、いい情報も得られるし、いちがいに悪いものではないと思うけれども。
だったら、あまり知られていない人たちがよいメンターなのか?といえば、それはそれで違うだろ。率直に言って、あくまで普通の人は普通の人なのであって、一流の人ではない。
だから、もし「この人はメンターかもな」と思う人に出会ったとしても、わたしは、まずは距離を置く傾向がある。もちろん、尊敬の念を持ちつつ、だが。
時間が経てば、(こちらが下手に出ているから、っていうのもあるが)彼が本性をさらけ出す時が来る。最後は"ああ、やっぱりこの程度の人か”と悟るタイミングがくる。
他者の成長を喜ぶ者か、人を便利な駒だと思っている者かの違いが表に出る。
わたしの人生はそんなことだらけだ。
実際問題、なかなか見つからない。
成功者にメンターがいるというのは、成功者自身の洞察力の賜物によるものだ…
そういう結論に達している。
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