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なぜ脳は特別なのか?

わたしはこの本の出現を待ち望んでいました。

今時珍しいくらいに正面切ってまともな脳科学の新書でした。これまで脳科学は、前頭葉、マインドフルネス、運動最高、サイコパスといった、わかりやすい話ばかり説かれ、宣伝されていて「心はどこにあるのか?」といった、それ以上の哲学的な議論を、洗練されたスタイルで啓蒙できる人は少なかったのではないか。

近年は「スマホ脳」や「脳内物質(麻薬)」といった話題が人々の関心の中心になってきており、トレンドが進歩(2010年代)から、警鐘(2020年代)へと移り変わってきているが、ことの本質は変わってないように思います。意識や、精神をめぐる問題については、常に今ひとつ、踏み込めない弱さがあり、そのまま強みにもなってしまっている。そういった脳科学の弱さの戦略が、啓蒙の領域でも過剰に力を持っていた。

例外的に、内容と人気を両立させている書き手は東大の池谷裕二先生ですが、毛内先生は、その後継者になるかもしれないなと思っていました。じつは、今年の頭に、チューブの毛内先生のチャンネル「脳研究者・毛内拡の社会に役立つ脳科学」をよく見るようになっていました。やや朴訥な喋り方ですが、話しだすととどまることなく、いくらでも興味深い話が湧いてくる。考えていることがちょっと学者離れしているというか。ビジネスマンを相手に、社会人向けのゼミを開催されていたり、チューブのチャンネル登録者数も順調に伸ばしてます。

一見、ほのぼのとした雰囲気を纏っているが、でも、よくみると眼光は鋭い。2020年に出版されて話題作となった「脳を司る「脳」」も、パラパラと眺めた程度ですけど、内容は至ってハードで「ひさびさに容赦ないガチな書き手が出てきたな」と思ってました。なお本書にしてもブルーバックス的なハードさはいかんなく発揮されており、一般の読者には知的勾配がきつい部分があるかもしれません。とくに前半は、脳の機能について詳しい解説的な記述が続きます。

わたしたちは物事を二元論的に捉えがちなところがあります。「こういう男はやめておけ」「こういう会社はブラックだ」「こういう女は一生独身だ」といった見出しの記事がインプレを稼いでいるのは今も昔も変わりません。紋切り型には他者とのコミュニケーションを誘発する絶大な力があります。ですので、即座にそれを悪とカテゴライズすることはできないが、科学の考え方からは最も遠いものである。

例えば恐怖についてわたしたちは経験則から「恐怖とはこういうものだー」とすぐに言いたくなりますよね。心理学や、文学、あまたの思想家たちが、恐怖について考えてきました。だから、わたしたちは、恐怖について多少なりとも知っているつもりになっている。

しかし脳科学では、恐怖という現象はあくまで脳内モデルの複雑な過程を経て最終的に発生するものと考えます。前者の態度が「本質主義」だとすれば、後者は「構築主義」と呼ぶことができます。心理学の本なら、より単刀直入に、わかりやすく物事の本質を教えてくれるので、そのような記述に慣れている読者ほど、本書を読むと面食らうかもしれない。

構築主義で分解的に物事を考えていくので聞きなれない概念が次々に登場してくる。そのひとつひとつを紹介することはできませんが、なかでも、とりわけよく言及されているのが「知恵ブクロ記憶」です。「うまく言えないけど、この世界を生きていくためのコツみたいなもの」とか「スマートスピーカーや図書館の司書のような役割」とか「社会的ルールが、経験となって知恵ブクロ記憶となって、世界のモデルを作っていきます」とか、

さまざまな表現を用いてくりかえし説明されるのですが、ようするに、この記憶のメカニズムがあるからこそ、わたしたちの精神は成長・発達ができる。くわえてこの「知恵ブクロ記憶」を更新するうえで欠かせない要素が、人それぞれが持つ感受性の傾向です。これについては、いったん「第2章 注意しなければ知覚できない」で解説されますが、この人それぞれの感受性(感じ方)の傾向は「感覚フィルター」と呼ばれています。

個人的な体験と照らし合わせても、なんかわかるなあ、という記述でした。わたし自身、ある面では、鋭敏に過ぎ、とても傷つきやすい人間だと思うし、一方では、木石のごとく鈍感な人間でもあります。HPSと鈍感さの両方の要素を兼ね備えているようなところがある。この自覚と人より長じている・人より劣っているとの自覚の部分は、かなり重なっている。きっと、誰だって大なり小なりそうでしょうが。

怖...となったときに身体がゾワリとする時があります。意外なことに、こういうことが「頭がいい」ってことと密接に深くつながっているらしい。「第8章 脳の持久力を決めるアストロサイト」で脳の中の細胞、グリア細胞の一つであるアストロサイトの重要性について紹介されているのですが、ひらたくいうと脳を正常に働かせ続けるための機能を担っている。これが、本書の帯にもありますが、「頭のよさ」=「脳の持久力」を裏で支えているのです。

つまりアストロサイトが脳のスペックを決めていると言ってもいいかもしれない。脳の中のアストロサイトの量は先天的に決まっているので、あとで数を増やすことはできませんが、活性化させることはできる。詳しくは本書を読んでもらうとして、ざっくりいうと、新奇体験や、強い情動体験をすると活性化するそうです。積極的に「ゾワリ」としたいものですね。

「最終章 AI時代に求められる真の”頭の良さ”」では、主に脳とAIとの比較が論じられています。なによりも毛内先生の知性論として、いくつかの箇所に興味を惹かれました。第一に脳とAIの学習の仕組みの違いを考察したあとで、両者は本質的にまったく別物であり「脳もAIにはなれないように、AIも脳にはなれない可能性が高」いと述べます。

AIは脳のニューロンの働きを模倣したニューラルネットワークというアルゴリズムを駆使し、あたかも人間のように記憶、予測、学習をやるようになり、ある側面ではすでに人間を凌駕するようになりました。本書ではAIの中核をなす学習ルール「ヘッブ学習則」を解析し、脳のシナプスの働きの仕組みの観点から見ても効率のよい学習則であるものの、しかし「膨大に学習を繰り返す必要」「学習に大量の教師データが必要」であることも指摘し、

たいして、ヒトの知性の営み、目的、働きは「たった数回の短い学習から統計学的に予測することができ」「少ない経験から枠組みを取り出して一般化して記憶したり学習したりという、脳の省エネ特性」にあるとします。そしてあらためて脳の優れた柔軟性について詳説し、AIの情報処理プロセスの特徴とされる「破却的忘却」、これは「一度何かを学習したAIにさらに新しいものを覚えさせようとすると以前学習したものを忘れてしまうこと」ですが、これさえも脳がしていないとは言い切れないと述べます。

AIの凄さは認めつつ、所詮それは”統計的なもの”の領域を出るものではなく、脳のポテンシャルにはおよばず、ヒトの知性(予測を作り出す力、論理力、判断力など)の根幹が問われるところでは限界に突き当たるということですね。と同時に、ヒトの知性の構造に「不完全」が入り込んでいることの重要性を述べています。世の中の大半が「頭がいい」を「理性的であること」と思っていますよね。むろんAIもそれに包含されるでしょうし、これこそが、その最たるものと考えている人も少なくないでしょう。ではなぜ数ある知性の特質のなかで、それを特別に高く評価するのか?をとことん考えはじめると、なかなか終わりがみえない。

しかし、それは毛内先生の提議にも言えることでした。「くじけない」(=脳の持久力)ことが知性の中核だというのならば「情動」にふれないわけにはいかないだろう。だとするならば、なぜそれを特別に高く評価するのか?を問わねばならないが、それは知性が本来もっているトータリティの源としての不完全性に着目しているからだと思いました。他方、AIも「ヘッブ学習則と時空間学習則を八対二の割合で混在させる」ことで、「より人間らしいAIの開発が進むかもしれ」ないとも述べています。

本書の裏テーマともいうべき「身体性」を読み解く鍵となるのも、同様に不完全性だと思いました。「頭がいい」とは「身体を思い通りに動かすこと」や「絶え間ない努力を続けられること」として要約できると述べています。人間の身体の動きは脳の働きを外部化したものであり、トップアスリートの身体能力は芸術的なレベルに達するが、見方を変えると、そこまでのレベルに到達するのに途方もない時間が必要という、ヒトの知性が複雑すぎるがゆえの欠点があります。シマウマなどのサバンナの草食動物は生まれてすぐに立つことができ1時間もすれば走れるようになりますよね。

わたしたち人間が、身体を思い通りに動かす上でポイントとなるのは、むしろシンプルなルールと良い制約であると毛内先生は述べます。「自然界でも、上手い制約条件をかけてやると自律的に最適な形をとるというルール」があり、これを与えることで、「結果として最適な形をとるエコロジカルな力が働いている可能性がある」

わたしはこの文章を読んでいる最中、ずっと「これは芸術の話ではないか?」と感じながら読み進めてました。

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