最近のTwitterの話。①


最近Twitterを開く度に思うことがある。
昔の方がよかった、なんて言うつもりはないけど、最近のTwitterは人の言葉に飲み込まれそうな時がある。吐きそう。

私はTwitterのトレンドに入っているワードは、基本的にチェックするようにしている。自分の知らない情報を知ることができるという点では非常に便利。もちろんトレンドに限った話ではなく、Twitter自体がそういった部分でかなり強いと思っている。それ故に、誰だって、何を言ってもいい、どんなことをしてもいい、そういった風潮になりかけているかもしれないなと感じている。もちろん誰がどんな発言をしてもいい、というのが大前提にあるのは理解してる。私もいろんなことをツイートしているし。だけどやっぱり、鋭く尖る言葉を目にするのは心を消費してしまう、当事者じゃなくてもだ。


・批判したいだけの人(?)

世間から認知されている人たち、有名人の方々は、メディアでの発言の一部だけを切り取られ、ネットニュースとしてすぐ世界に発信される。その内容次第では、ニュースにされた人たちは世間様から大批判をくらうこともしばしば。でも批判している人たちの中には、ただただ理由もなく批判したいだけの人がいるのではないか、と思うことが最近はよくある。

例えば、ラジオでの発言が切り取られて炎上した場合、しっかりラジオの音源まで聞くべきではないだろうか。なぜなら、ネットニュースは100%の情報をくれる訳ではないから、大きく主張された文字だけが正しい訳ではないからだ。私は自分の立場で考えた時、ネットニュースの文字だけを見て、この批判的な感情が正しいかどうか判断出来ない。明確な情報がないのにも関わらず他者を批判することが怖くて仕方ないから。いくら匿名だとしてもそこまでの自信や人間的な器が自分にはないと思っているからだ。自分の感情を自分自身で肯定するためには、そのことに対する絶対的な情報が必要だと認識している。だから切り取られた部分だけを見て批判している人たちに対して強い疑問を感じてしまう。

(批判すること自体をおかしい!と言ってる訳ではないのを理解してほしい)

もちろん全員が私と同じ考えなはずがないのは分かっているし、私の考えが正しい訳ではない。だけど最近のTwitterは、自分で情報を調べようとせず、どうしてこうなったのか経緯や理由も知らずに他者を批判する人が多すぎる。どうしてなのか。相手だって同じ人間なのに何でそんなこと言えるんだろう、と思ってしまう。バズったツイートにも意味不明なリプライがたくさん寄せられているのを良く見かけるし。小学生からやってきた現代文の勉強は意味なかったのか、そんなことを思わされる。つらい。

誰が何を言ったって自由なんだけど、だけど、そういう問題ではないこともあるのにな、という最近の疑問。楽しく生きたい。

楽しいTwitterライフを。

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