嫌いな人

 神様が本当にいるとするなら、なぜ私のような人間を生み出すのでだろう。
 「エリおはよー。」
 「おはよー。」
 こんな仕打ちを受けてもなお、絶対的な存在がいるだなんて夢みたいなこと、信じられるはずがない。
 「今日数学の小テストだけど、勉強してきた?」
 「ウソ、完っ全に忘れてた。」
 それとも、本当に追い詰められた時には神にすがるしかないのだろうか。
 唯一の憩いの場である学校で、私はそんなことを考えていた。

 「エリ、一緒にお昼食べよー。」
 朝も声をかけてくれたカナが、私をお昼に誘う。
 「ごめん。」
 「うっそ、今日も委員会?」
 誘いを断る常套句は、もはや切り出す前に相手へ伝わっている。
 「もー、あんまり頑張りすぎちゃダメだよ?」
 「うん、ホントごめん。明日は一緒に食べよ!」
 断り続けても誘い続けてくれる、カナの優しい言葉を背に受け、私は急ぐ振りをして教室を出る。
 決して新しいとは言えない、しかし文化財になるような歴史を持っている訳でもない校舎をあちらこちら徘徊し、人目に付かない薄暗い校舎裏へとやってきた私は、風船から空気が抜けるように、へたりとその場に座り込んだ。
 「・・・はあ。」
 水しか口にしていない身体は、力を込めようにも言うことを聞かず、ただただ小刻みに震える手が視界に入るだけであった。
 最後に食べた食事は、昨日のバイト終わりに食べたコンビニのおにぎりだけ。そして今日もまた、一日を終えた夜まで食事にはありつけそうにない。
 一体私はどんな悪いことをしたというのだろう。私の知らない所でこの世に生を受け、未だ知らぬ父親を想像しながら、私が物事ついた時には、理不尽に私へ当たる母の姿があっただけだ。
 面倒を見ることは愚か、男に邪険にされた苛立ちをまだ小学生になる前だった私にぶつけてきた母。どうやって稼いでいるのかも定かではない僅かな日銭も、男や酒や煙草に消えていき、まともな食事などどこを探しても出てこなかった。
 それでもまだ、幼い頃はましであった。
 母の母、私にとって祖母にあたる人物が、母の代わりに私の面倒を見てくれた。母の暴力の矛先が自分ではなく孫に向いていることを見て見ぬふりをしていたが、母がいない時には私をフォローしてくれ、おかげでこんな家庭環境でありながら勉強の成績はまずまずとなり、私が高校進学を希望した時には、ついに私と一緒になって母と戦ってくれた。
 そんな祖母は、私が高校に受かったその日にこの世を去った。
 母が金の無心のために祖母の家を訪ねた所、その場に倒れ込んだとのことらしい。葬儀だなんだと金や時間が取られることに、母は酷く腹を立てた。
 こうして小さな雨樋すら失った私は、母という豪雨によってもたらされる水を抜く場所がなくなり、今にも溺れそうになっていた。
 
 「カナ・・・ホントごめん。」
 毎日お昼に誘ってくれるカナを、私はあの手この手で断っている。
 私がお昼を用意出来ないような貧乏であることがばれたら?
 きっと優しいカナは、私に同情をしてくれる。だけど、それはいつまでだろう?
 最初は私へ悲劇的な感情を抱いても、それが当たり前になれば常に優しくなど出来るはずがない。そうして惨めな私を近くに置くことが嫌になり、どんどん距離が離れていく・・・
 だけど、こうして断り続けることが、本当にいいのだろうか。
 委員会だなんだと言い続けたことが部分的に嘘だとばれたとすれば、当然向こうも良くは思わないだろう。第一噓だとばれずとも、断り続ければ疎遠になってしまうのが自然の流れだ。
 ただ私は、普通の高校生として、普通の日常を過ごしたいだけなのに、それすら叶わない。
 一体私は、なぜこんな目に・・・
 「叶えてやるよ。」
 突然聞こえた声に思わず顔を上げると、そこにはクラスメイトの鹿嶋が立っていた。
 「な、何の話?」
 「だから、お前の夢である普通の高校生活とやらを叶えてやるって言ってんだよ。」
 私の心内描写を、まるで見ていたかのような口振りである鹿嶋。普段はクラスでも端の方で特別誰かと仲良くしている様子すら見受けられないのだが、この場の鹿嶋は妙に堂々としており、クラス内での印象とは異なる。
 「どうして、というよりもあんたは何を知っているの?」
 「全て知っているさ。お前が昼ご飯も用意出来ない貧乏であることも、ろくでもない母親はお前を育てるどころか、稼いできたバイト代のほとんど巻き上げていることも、普通の家庭に強い憧れを抱いていることもな。」 
 なぜそこまで知っているのか。そんな野暮な質問をする気も起こらなかった。
 きっと鹿嶋には、人智を越えた力が備わっている。
 妙に物分かりよく、私は自分自身を納得させた。
 「話が早くて助かるな。お前の思った通り、俺には特別な力がある。その力こそ、人の望みを叶える力だ。まあ思考や過去を読み取れるというのは、その力の副産物みたいなものだ。」
 冷静に考えれば、こんな現実離れした話を丸ごと鵜吞みにする人間などいないはずだ。仮に信じるにせよ、もう少し段階を踏み、何か確証を得ようとするはずである。
 しかし私は、鹿嶋の話をそのまま信じてしまった。もはや他人の話を推敲するような思考力は、ガス欠状態の私の脳みそには存在していなかった。 
 「どうしてその力を私に?」 
 最後の力を振り絞って聞いた質問は、鹿嶋の動機だった。
 「人の望みを叶える力。その力があんたにとってどういうものなのか・・・いくら使っても無くならないものなのか、使う度に何か代償が必要なのか・・・それは私にはわからないけど、少なからず私に使おうと思った理由があるはず。」
 その問いに対する回答は、シンプルかつ意図のわからないものであった。
 「俺は、お前みたいな人間が嫌いなんだ。生まれ育った環境が不幸であるからと、大きな顔して不幸自慢をしやがる。そんな人間が俺は本当に大っ嫌いなんだ。」
 ぶつけられたその理不尽な怒りを、私は上手く消化することが出来なかった。
 「不幸自慢?そんなの、私した覚えないんだけど・・・」
 「いいや、自覚の有無にかかわらずしている。」
 こちらの意見になど聞く耳を持たず、鹿嶋は口を動かし続ける。
 「俺はお前と違い、両親共に素晴らしい人間で、俺は心から尊敬もしているし、何不自由なく育てられてきた。もしそんな俺が、何か不平や不満の一つでも漏らそうものなら、お前らのような人間が諸手を上げてこちらに突っ込んでくることだろう『そんな恵まれた環境にいるのに、何が不満なの?』『贅沢言うな。こっちなんて・・・』こうして不幸マウントを取られた俺は、気付けば何も言えなくなるんだ。」
 知った事じゃない。そんな台詞を挟む隙を私に与えずに、鹿嶋は続ける。 
 「お前が不幸なのは、決してお前のせいじゃない。そして同時に、お前が不幸なのはお前の功績でもないんだよ。全てはクソみたいな母に責任があり、お前が背負うべきものは何もない。にも関わらず、お前はてめえの不幸をさも自分の手柄のように周りに見せびらかしやがる。」
 「ふざけないでっ!一体私がどんな思いで・・・」
 「じゃあ聞くが、お前はこういう風に言われたらどうする?」
 思わず立ち上がった私を制するように、鹿嶋は問いかけてくる。
 『大変なのはわかるけど、あなたは高校には通えているんでしょ。それも全日制の普通科高校で、偏差値だってそれなりに高い。中には公立高校の学費も払えず、すぐに働かなきゃいけない子だっているんだから、贅沢言っちゃダメだよ・・・』
 「な・・・人の気持ちも知らないで、よくそんなことっ・・・」
 怒りの感情を剝き出しにした私に、落ち着くようジェスチャーをする鹿嶋。
 「言っておくが、俺は今みたいなことを微塵も思っちゃいない。お前が大変なのは疑いようのない事実だし、それ自体を否定したり茶化すつもりは全くない。だが」
 前置きを言った後、鹿嶋は本題を述べた。
 「何か不満を言った俺に、お前が贅沢を言うなと発言することと、今俺がした例え話じゃ、一体全体何が違うっていうんだ?俺はあんたから見れば何不自由のない生活をしているように見えるだろうが、こっちはこっちで色んな苦労がある。そして世界のどこかには、今のあんたを見て自分よりはましだからその席を譲れと攻撃してくる人間がいる・・・そうやって自分が不幸だからと勝手に免罪符を発行し、何を言っても何をやっても許されると思う人間が、今の世界には多すぎる。」
 そして鹿嶋は、私の目を真っ直ぐ見つめた。
 「俺はこの力で、自分が不幸であると思っている人間を根絶やしにしてやろうと思っている。望みを全て叶えてやり、俺が享受するありがたき普通という名の幸せを、当たり前にして憧れを抱かせないようにしてやるんだ。そうしてやっと、俺は発言権を得られる。」
 
 「エリ、起きなさい。エリったら!」
 隣の部屋から名前を呼ぶ大きな声に、私の意識が覚醒する。
 「ウソ、もうこんな時間?」
 「ホント、あんた高校生になっても変わらないわね。」
 呆れた表情で、台所を歩く母。
 「ちょっとそんな落ち着かないでよ、また遅刻しちゃう!」
 「自業自得でしょ。」
 毎日の何気ない朝の時間。そんなはずなのに、妙に新鮮味を感じている私がいる。
 「もー、なんで私って朝が苦手なのかな。そんなに夜更かしだってしてないのに。」
 そして今日もまた、何気ない一日が始まる。
 
 

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