「誰がために…」

作詞「石ノ森章太郎」/作曲「平尾昌晃」/編曲「すぎやまこういち」/歌「成田賢・こうろぎ73」というボクにとっては夢のような「尊敬する人たち」がコラボして作られた曲を冒頭に埋め込んだ記事を書くことは、初の経験となるのです。

ボクが中学生の頃にテレビて、放映されていた「サイボーグ009」の「島村ジョー」が、学生時代にボクが持っていたノートに書いたイラストの初めてのキャラクターでもあったのです。

「石ノ森章太郎」先生が描いた「人造人間キカイダー」はハワイの人たちからも大絶賛されて、ハワイでは「『ジェネレーション・キカイダー・デイ』と『キカイダー・ダブルブラザース・デイ』というキカイダー関連の記念日」が2つもあり、当然のことながら休日になっているし、主役を演じた「伴直弥」さんはハワイの名誉市民にもなっておられるのです。


「平尾昌晃」さんは「必殺シリーズ」の音楽を一手に引き受けていましたし、作曲家としてかなりの数の名曲をリリースしました。

オートレース好きとしても有名で、川口オートレース場の年間ボックスシートも持っていたし、川口オートの年間ボックスシートも持っていて、作曲家として川口オートのテーマソングである「ささきいさお」さんが歌う『ぶっちぎりの青春』も作曲して提供しました。

「すぎやまこういち」さんの名前を知らない人はいないと、ボクに言わせる理由が「ドラゴンクエスト」の音楽を担当したことにより「ドラゴンクエスト」の曲のコンサートも、日本各地で行われるほどのインパクトを日本のゲームフリークに与えましたよね。

「ドラゴンクエスト」はパソコンのRPGゲームの「Wizardry」と「Ultima」の良いところをとって作られたゲームであると、ゲームセンターで知りあった違う高校出身の同級生から教えてもらったことがありました。

「Wizardry」はパソコンゲームとして世界中にファンを持つゲームであり「ドラゴンクエスト」のように、同じ第一作目てあっても入門編というスタイルはとってはおらず、年齢が設定されていて50歳を過ぎるとレベルアップするごとにバラメータやヒットポイントの最大値が下がることになるという本物の人間がダンジョンを探険しているかと思わせる内容のゲームでした。

方眼紙に一歩あるいては書いていく作業を苦にする人には適さないゲームですが、設定などにより、ハマる人は徹底的にハマるタイプのゲームでしたよ。

ファミコン版では移植プロデュースにはNAMCO時代に黄金期を迎えるためのゲームを作り続けた「ゲームスタジオ」の「遠藤雅伸」氏、キャラクターデザインに「末弥純」氏、音楽に「羽田健太郎」氏を起用たことにより、パソコン版よりも評価が高いと思わせる内容のゲームになったのとボクには思えたのでした。

「成田賢」さんのことは、よく知らないけど、彼の歌った特撮ソングを埋めておきますね。

彼の歌からは、ソウルを感じるのですが、ボクだけがそう感じるのでしょうか?


そろそろ本題へと突入しますね。


半日で終わる幼稚園で、昼食を食べずに行われていた「絵画教室」が、どれほどの力を与えたのかは不明ですが、中学二年の美術の授業中、突如として「模写能力」が、開花したのでした。

しかし模写したものに色を塗ると、せっかく一人前に描けた絵が台無しになるほど色を塗るのが下手だったのです。

それでもかなり年月が経った後には色塗りの能力も得ることが出来たのでした。

…と、ここまではまだ本題に含まれない内容です。

ボクが今回の記事で伝えたいことは『人と比べる必要性かあるのか』ということになります。

埋め込んだものに書いてありますが『義務教育とは、国が国民に強制する教育のことである』とあるけど、誰が『誰がために…』そのように仕組んだのでしょう。

競うことを嫌う人もいるハズですが、その意識すら気づかせないかの如く、義務教育を受けることが当然のことになっています。

多くの人のことを考えたうえでの策であるのでしようけど、そのためにマイノリティの人の中には辛い想いをしている人もいるハズなのです。

人については「千差万別」「十人十色」「多種多様」「種種様様」という表現のされ方もするのに『義務教育を強制されるのがなぜなのか?』と疑問が生じました。

「画一的な人間を増やすための行為」が強制されていることは、おかしなことであるのに、そんな中で個性的な人間の登場を期待する流れがあることもおかしなことだと、ボクは思いますけどね。

いつの頃でしたか「個性の時代」を望む声が高まったこともあったように思いました。

人と競うことにより、優越感を得られることもありますが、敗北感を味わうこともあるのですから。

例えが違うのかもしれませんが「諸刃の刃」ともいえる教育を強制的に受けさせられて、勝ちか敗けかの結果が2つしかないのが、人生だと教えるのは間違いだとボクは考えますから、義務教育自体を無くして欲しいのです。

ボクが出逢った人の中で「自分の学歴にコンプレックスを持たない人」はひとりとしていませんでしたからね。

それを考えた時に『義務教育が必要と考えることも、意味がないことだ』と思えるのです。

通いたい人だけが通うというシステムは『中学校から取り入れてもよい』のでは、と考えつきますけど、おかしいですか?

1番多感な時期に、強制的に集団生活をさせるのは危険だと思うし、ゆえに「いじめ」がなくならないのだと考えていますからね。

高校生である18歳から選挙権を与えても『投票できる人が増えても選挙の投票率はワースト4という結果だった』ように『現在のシステムで育つた若者に期待するのは意味のないこと』といえるのですからね。

詰め込み教育を余儀なくされた若者はやる気を失っています。

Z世代とか言って持ち上げようとしても、彼らは踊らないのです。

『義務教育の撤廃』を期待して、泡りとさせてもらうことにしたいと思います。

長すぎると思える記事につき合ってくださり、最後まで読んでくれてありがとうございました。


…ほな、ね。




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ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。