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何かを与える子育てではなく、何も奪わぬ子育てをしようと決めた日の話

初めまして、カワリモ・ノ・ガサ美です。ホーム画面の背景をウニにするくらい変わり者で、賞味期限+10日は挑戦するガサつな女です。

今日は私の子育てのモットーについて。タイトルにある通りですが、私は親だからと言って我が子の為に【あれをしてあげたい】【これをしたらいいと思う】という与える子育て・GIVE子育て ではなくて(giveの綴りが怪しくてググったことは秘密にしておこうと思ったけれど、書いてしまう矛盾)

【これやったら邪魔になりそうだな、やめておこう】【口出したいけど我慢我慢】【何かを求められるまで待機しておこう】という、何も奪わぬ子育て(GIVEに対応するうまい英単語が見当たらなくて、今ひとつ決めきれない。笑)を常に意識して、子どもと接しています

それを強く思ったのは、小春日和という言葉がぴったりな3年前の4月。窓を開けて『なんて人間を産むのにもってこいの天気だろう』と思わず大きめの独り言を言ってしまったくらい、キラキラ日の光が眩しい日。

10時間はこの分娩室にいるだろうという覚悟とは裏腹に、あれよあれよと進みに進み、4時間後には初産にも関わらずあっという間に我が子を抱いていました。体力もまだまだ有り余っていて出産直後に『ビール飲みたいです!達成感ハンパない』って叫んだ時は看護師さんたち驚いてたなぁ。

旦那にへその緒を切ってもらった瞬間、私の中で強く思ったのが今私と彼は違う人間になって、ここから先は、彼の人生がある。彼が歩もうとした道を邪魔する事だけはしたくないってことだったんです。

なぜこんな想いがよぎったのか、考えてみると自分の生育歴の中で嬉しかった瞬間は自分を1人の人間と認めてもらい、自己決定をさせてもらった時・信じて見守ってもらった時・(何か言いたそうだけれど)黙って背中を押してもらった時

私はそんな時に親の愛を知りました。感じました。

今の世の中の子育て論を見ると【〇〇しましょう】【〇〇すると良いでしょう】と与える話ばかり。ママ達は毎日365日・24時間、育児に家事に仕事に追われているから、不安になる。私はちゃんと与えられているのかな?足りてないんじゃないか?私は子育て向いてないのでは?って、どんどん責める・悩む。だって与える事にゴールはないし、子育ては誰も明確なOKを出してくれない

だからこそ、私はこう考える。子どもが安心して暮らせる安全な場所を奪わず、何かやりたいと思って目を輝かせているコトを奪わないように。チャンスも経験も与えるモノのではなく奪わぬようにするモノ。

与えられた喜びよりも、奪われた悲しみ・苦しみの方が我が子には感じて欲しくない。

あとは数年後、子育てがひと段落した時、我が子にあんなに〇〇してあげたのに!!って子育てやってあげた感は絶対出したくないから。将来の良好な親子関係の為にも肝に銘じている事です。

この考え方きっと変わってて共感もなんも得られないと思うんですが、1カワリモノ1考え方として。






サポートして頂けましたら、そのお恵みをぎゅっと握りしめて。こんな時でもお店を開け続ける地元の飲食店にダーっと走り、キンキンのおビールをガーッ飲みながら、明日への英気を養います。カウンターで出会ったノリのいい奴に1杯おごる気持ちでぜひ。