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風土、有機物、文化圏、分解、酒精、レトロネーザル、モンスーン

有機物が自然の菌叢によって分解されていく過程で様々な香りが発生する。その中には不快なものもあるけれど、良い香りは人間の食べ物に選択的に利用されている。

選択されなかった香りの中には、自然の中やそれに紐付いた生活の中に広く無意識的に存在するものがある。それは第三者には、ある文化圏に特有の香りとして認知されている。わたしはそれを風土と認識する。生活が清潔になり、世界が相対的に小さくなり均質化していく中で、そういった香りはどんどん希薄になってきた。

奄美に通い始めた頃、ある老篤農家さんで古い自家消費用酒精をいただいたことがある(もう時効かと)。それは考えうる限り最もナチュラルな素材を、最も伝統的に仕込んだものだった。そこには奄美、ひいてはモンスーンアジアの風土が圧倒的解像度で転写されていた。ライフタイムベストな酒体験の一つだ。

「ナチュラルな酒造りは危険だ。そして面白みがない」。あるベテランの黒糖焼酎の造り手の言葉だが、彼が若かった頃は正義だったはずだ。しかし、だからもう長いこと、店頭には同工異曲な黒糖焼酎ばかり並んでいるのだろう。個人的にはそれこそが面白みのない現状と感じられる。

こないだ奄美に行ったとき、酢酸菌無添加のキビ酢を見つけた。迷わず購入したが、この酢には、奄美の風土が非常に良く転写されている。キビが高温下で枯草菌に分解されていく時の藺草(イグサ)みたいな香りと、4C植物特有の甘い香りと、アジアのナチュラルな植物性発酵食品に欠かせないジアセチル。舌に乗せると、レトロネーザルで何度も奄美にトリップできる。

たぶん誰も知らない(知りたくもない)だろうが、奄美のオオゲジが夏場に死んで分解されていく時にも全く同じ香りがする(冬場は死んだら枯れていくだけ)。

分解すなわちdecompositionの香りは、食べ物より飲み物において、より大きな官能的影響を持つ。お酒においてもお茶においても。だからわたしはノンアルコールドリンクやカクテルをお店で作ることはしない。それはcompositionだからね。誰かが作ってくれたらありがたく飲むけれど。
わたしはお店ではドリンクペアリングを担当している。料理はcompositionなのだから、組み立てられたものには分解されるものを合わせたいのだ。

形ある有機物が自然の中でバラバラになっていくプロセスの中に瞬間的に立ち現れるエモーショナルな香りを、自分の五感で掴まえたい。願わくば自分の手で液体として表現したい。最近そのことばかり考えている。

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