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2万文字の小説を書いた感想と改善点 2万文字の小説を書けた人は偉い!

小説を書いた人は、えらい、エライ、とても偉い。

つまり、2万文字の小説を書いた私は偉い。と、私のことは横に置いておくとしても、小説をラストまで書ききった人たちはとてもスゴイのだなと思うようになった。

小説を書きあげるには、まずアイディアが必要であり、そのアイディアをふくらませ、賞に応募するのであれば、規定の文字数以上の小説を書きあげなければならない。

私のように、なんか金髪の女性がエロティカルに殺される、だけのワンアイディアで2万文字を書きあげるのは、ほんとうにしんどかった。

さらに、いまnoteを読まれているということは、パソコンかタブレット、もしくはスマホにて小説を書いている人がおおいだろう。
液晶をながめつつ、あーでもない、こーでもないとカタカタしていると、電磁波を目に浴び網膜が焼かれる。
目が疲れると、つぎに脳みそも疲労してくる。チョロQのネジのまきがたらないように脳みそが動かなくなってくる。
それでも、それでも、小説を書きつづけていると、肩や腰、手首が痛くなってくる。

小説を書くということは、目と脳みそ、肩、腰、手首を酷使する肉体労働といっても過言ではない。

というわけで、小説を書きあげた人は偉い。

これからは、つまらない小説を読んだとしても大声で叫ばず、コソコソッと胸のうちにひめておこうと思う。

小説を2万文字書いた感想は、精神的にも肉体的にも、とても疲れた。また小説を書きながら、はたして、この小説は面白いのだろうかという不安との戦いでもあった。その厳しい戦いの結果、げっそりと体重がへっ、いや、増えた。(ナンデヤネン)

小説を書いて疲れた理由は、まずは準備不足。これにつきる。

準備不足とは、どういうことか。ふつうのエッセイを書くときや、ブログにて商品の記事を書くときや、読書感想文を書くときを書くときは、まずは素材を集め、集めた素材の取捨選択をしたのち文章を書くようにしている。

ふつうの文章を書くときにしていること、つまり材料集めをまったく、ちっとも、ネバーしていなかった。

女性がむごたらしく殺される。このアイディアだけで小説を書きはじめた。そらぁ、苦労するってもんですぜい。

いちぶの天才さんは、家の扉をあけたら身長よりでかいカエルがいた。これだけから、物語を作りだす天才小説家もいるそうだが、私は天才ではない。小説を書いてわかった。私は天才でもないし、キャラクターが私の想像をこえ動きだしたり話だすこともない。

なにが言いたいのかと言うと、2万文字の小説を書くのであれば、2万文字相当のあらすじをしっかりと用意してから小説を書きだすべきだった。そして、あらすじの針金に文字の粘土をつけるように小説を書きあげたほうが楽だったと思う。

あらすじを考えるのは大変だが、あらすじができあがるまではキーボードをカタカタっさせるべきではない。

文字数をふやすために、主人公の回想などをはさみ、過去と現在、未来を行き来させた。そして、過剰なまでの形容詞をつかったりし文字数を稼いだ。あとから読みかえすと、すこし、いや、だいぶおかしい箇所もあった。あらすじを考えてから現在と過去、未来を行き来させるべきだった。

あらすじを考えてから小説は書きだすべし。

つぎにこまごまとした準備、いやルールを作ってから小説を書いたほうがよいと思った。

まず決めること、小説の視点。登場人物の視線にて書くのか、神のように小説を俯瞰しているような視線で書くのか、これは決めておいてよかった。登場人物はすくなく、金髪の女性ひとりの視線で書いたのでこのあたりは楽だった。

つぎに決めずに書きだして苦労したこと。ひとつめは、キャラクターの口調。女性言葉の知識がなく、私でいいだろうと思っていた。そして、読みかえすと、金髪の女性も黒髪の生徒も私になっており、書いた私ですら、いまどちらが話しているんだとパルプンテ。

登場人物の口調は決めてから小説を書くべし。

つぎは、とても細かいルールなのだが、文字の開きをきめるべきだった。たとえば、例えばでいくのか、たとえばで書くのか、わたしを私で書くのか、よく使う単語は、ノートなどにメモしておくべきだった。いちいち単語の開きを調べるために小説のなかをあっちへこっちへと探すのは疲れるし、時間もとられた。

文字の開きを決めておくと時間節約になる。

文章を書く下準備さえしておけば、小説を書く効率はあがる。料理をするまえに、食材を用意したり、調理器具を用意したり、食材を切ったり、調理の手順を考えたりするように小説を書くまえに下準備をするべし。

下準備をせずにいきなり書きだすと私のように苦労しますゾ。

下準備を終えたあとは、淡々と文章を書き、針金のようなあらすじにブ厚い肉をつけていけばいいだけだ。いいだけなのだが、淡々と文章を書くのはむずかしい。

気がむいたときだけ、小説を書くようにしていた。これがダメだった。小説を書くゾといきごみモニターとキーボードのまえに座ることはなかった。人間はしんどい作業をすすんでしないもんだ。小説を書くつらい作業に気がむくことはなかった。

気がむいたときにだけ小説を書いていては、しめきりに間にあわないと思いしらされた。そこで、私には夕暮れからお酒を飲みだすという宿痾のような習慣がある。お酒を飲みながらでも、とりあえず2時間は文章を書くようにした。なにはなくとも、モニターとキーボードのまえに座る、2時間は。オトイレにて中座は可。

とりあえず、モニターとキーボードのまえに座る作戦は劇的な効果をあげた。2万文字の小説を書けたのは、とりあえずモニターとキーボードのまえに座るようにしたからだ。

小説を書けないと悩んでいる人は、モニターとキーボードのまえに座る。

1日のどこかで必ずモニターとキーボードのまえに座る。小説を書く時間をきめて座る。まずは、短時間でもいいので座る。なにも思い浮かばなくても座る。小説のことを考えながら座る。本を読んだり、SNSをしたりしてもよいが、小説を書くという意識を持ちつつモニターとキーボードのまえに座る。

モニターとキーボードのまえに座り続けていれば、いつかは小説を書きあげられるだろう。私は小説を書きあげた。

つぎに現れる問題、こいつは、あらすじを考えること、座ることよりも強敵かもしれない、その現れる問題とは。

無限推敲地獄

読みかえすたびに誤字を見つけ、声をだして文章を読むたびに気になる点がみつかり、なんどもなんども自分の文章を読みかえしていると、自分の文章に酔う。お酒を飲んでもいないのに、車に乗ってもいないのに、頭がぐわんぐわんと木の馬のように回転し、目がチカチカとし、もう自分の文章を見とぅない、と精神的に追いつめられた。

上記のツイートをしたところ、小説を書いている先輩がたからアドバイスをいただき、推敲はあるていどのところで終わらせ、しめきりまでに小説を投稿することができた。

オーディオブック化は、目からウロコだった。


さいきん使いにくいと感じたチョロメさんには、このように便利な読みあげ機能があった。この読みあげ機能には大変助けられた。そして、いま現在もこの読みあげ機能は、お仕事やブログ、noteにと八面六臂の大活躍である。

やっていてよかったTwitter。いますこしゴタゴタしているが、ほんとにやっていてよかった。小説を書く作業は、ひとりでセコセコと書いてる陰のモノの極み。すこしは、Twitterを眺め陽の光をあびることで小説を書けるようになったり、小説を書くヒントを見つけられたり、推敲のヒントまで見つけられる。

また、Twitterで知り合った人に、小説を読んでもらいアドバイスまでもをいただけるという幸運にもめぐまれた。ひとりで推敲していてのであれば絶対に気づくことのなかったポイントを指摘してもらえた。また、2万文字という長い小説を真剣に読んでもらえた僥倖。

いよいよ、noteにて投稿となるのだが、ここで小説を分割して投稿するか、1noteとして投稿するか、という問題がおこる。

私は1noteで小説を投稿した。なぜ、1noteで投稿すると決めたか。

スキの数が減っていくと思ったからである。最初に投稿したnoteのスキ数にくらべると、最後に投稿したnoteのスキ数は確実に減ると思ったからだ。

スキ数にこだわってはいけないと思っている。思っているんだけど、どんどんスキ数が減っていくんだぜ、きっと精神の余裕も減っていくと考えた。1noteにまとめて小説を投稿した。

1noteで投稿するか、分散するかは、お好みで。

スキ数ついでに、あまり他人の小説とのスキ数を気にしないほうが精神的にもよろしいように思う。たくさんのスキ数をもらっているnoteを見てしまったあとは、かけ布団を頭からかぶり「うらやましいゾ」と叫び、きれいさっぱり忘却なされたたほうがよろしい。

小説を書いていて辛いことばかりじゃないか。そのように思われては、いけないので最後に小説を書いてよかったことを書いておこうと思う。

Twitterにて、小説を書いたことをツイートしたところ、読んだ、読ませてもらうというリプをいただき、さらには小説が、おもしろかったというリプまでいただいた。小説を書いてよかったと、心の底からそう思った。

ここでもやはりTwitterにて救われた。けっしてイーロンのまわしものではないが、Twitterは、たいへんよいモノです。

ひとつの小説を書きおえたわけだが、小説家になりたい、もしくは、小説を書きお金をもらいたいのであれば、これからも小説を書きつづけなければならない。モニターとキーボードのまえに座り、眼精疲労、精神疲労、肉体疲労の三労と戦いつつ、文章をつむぎださなければならない。

2万文字の小説を書いた結果、私が書くべき文章の方向性は見えた。私には、どのような小説が私にはあっているのか。それも、Twitterをつうじてわかった。

気持ち悪い校長に特化した小説を書いていこうと思います。(ドンナ小説ヤネン)


音声推敲を教えてくれたすずめ先生の小説『 ハギノさん家のハッピー・ニュー・イヤー

大人でもない子どもでもない純愛。過去と未来、現在をふりかえりながら、あたらしい年の瀬をむかえる。

ハードボイルな文体にて綴られる純と不純のすきまを揺れ動く恋愛小説。

気持ち悪い校長に特化した小説を書くようにすすめてくれた、ふたごや こうめ先生の小説『 親愛なる子殺しへ

実話をもとに組みたてられた小説。この小説を読むモノは覚悟して読むべし。

日本のもっとも暗い闇の部分にスポットライトをあて、ひとりの人間がいかに追いつめられていくか、真にせまる文章につづられている。

また、双子を育てられている作者ならでの視線。日本全国の主婦が泣いた。

また、Twitterだけでなく、note内でも小説にかんするアイディアや意見を交換できる場を作ってはどうだろうかという提案をしたことがある。

小説はひとりで書くものではあるが、だれかに読んでもらわないと問題点もわからない。

意見を交換してみてはどうだろうか。

小説家の卵たちの戦いはこれからだ!

おったろう先生の次回作にご期待ください。

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