親愛なる子殺しへ  前編

 あらすじ
 「育てにくい子」である一人息子を抱える主人公は、孤立無援の状態で思い詰めていた。
 塞ぎ込みがちな日々を送る中、浮かんでくるのは、我が子を手にかけた幼馴染みの記憶。
 当時、強い憎悪と拒絶感を抱いてた彼女への思いは、事件の背景を知り、自分も子育てをする中で変化していったが、主人公の中ではもう一つ、どうしても消化しきれない過去があった。



 第二駐車場から保育園まで、大人の足なら片道四分。幼児連れの場合でも、順調にいけば十分足らず。

 それでは、順調にいかなければどのくらい時間がかかるのか。その答えは、むしろ私が教えて欲しいところだ。

 園庭に隣接した第一駐車場を使用していいのは、ベビークラスと一歳児クラスだけ。それ以外の保護者は、園から離れた第二駐車場を利用する事になっている。田舎出身の私は、この街の駐車事情に未だ馴染めない。

 駐車場を出て小さな交差点を曲がると、保育園までは住宅街の細い一本道が続く。朝は沢山の母親が行き来し、すれ違う度にあいさつを交わす。うちの園に限った話なのか、それとも一般的な傾向なのかは分からないが、お迎えの時間には父親の姿も珍しくはないが、なぜか朝は圧倒的に母親の方が多い印象だ。

「おはようございます」

「おはようございます」

 二歳児クラスから通い始めて、二年と少し。数か月前に転職し、登園時間を大幅に変えてから、道すがらすれ違う顔ぶれもすっかり変わった。そして変わったのは顔ぶれだけでは無く、ともすれば一触即発といった雰囲気だった、あの朝の空気がガラリと変化した。

「あ、おはようございます。この間はありがとうございました」

「いえ、そんな、こっちこそ助かっちゃいました」

 おはようございますの挨拶をきっかけに、そのまま歩調を合わせて会話を始める母親達。中には、道端で立ち止まってお喋りをしている人達すら見かける事がある。

 朝九時前後、この時間帯に登園してくる母親達には、比較的のんびりした印象の人が多い。最初は驚いたが、この時間帯に登園するという事は、自分の出勤時間というより保育園の朝の会に合わせているからだと気付いた。

 つまり、シフト制やパートタイムで出勤時間が遅いか、自営業で時間の都合がつきやすかったり、または、下の子を産んだばかりで育休中だったりと、理由は様々のようだが、貴重な「朝の五分」に神経をすり減らさずに済む傾向にある人達ばかりなのだろう。

 それでも一人息子の相手にいっぱいいっぱいの私には、気軽に話しかけられるようなママ友なんてできやしないのだけれど、周囲の雰囲気が穏やかというだけで気が楽になる。

 朝のラッシュ時に登園していたあの頃は、もっと孤独だった。

 もうすぐ五歳になる息子のひじりには登園をしぶるへきがあり、それは私が転職を決めた大きな理由の一つだった。あの頃特に辛かったのが、家を出る時は上機嫌だったくせに園の駐車場に着いたとたん嫌がり始めるパターンで、それが始まった朝は最悪の一言に尽きた。

 第一駐車場に比べると広いとは言え、第二駐車場でも朝夕のピーク時には駐車待ちの車が列を成す。そしてその運転席でハンドルを握っているのは、出勤時間とにらめっこ中の母親達。

 ある人は焦る気持ちを抑えつつも社会人としての体裁を保った複雑な表情で、ある人は明らかにイラつきを隠さず不機嫌丸出しで、ある人はもはや失笑を浮かべて、三者三様、しかしその全員が、駐車場が空くのを今か今かと待っている。そんな姿を横目に、貴重な一台分の駐車スペースを占領しておきながら、車から降りたがらない聖を説得しなければならないのだ。その何とも言えない地獄の時間は、日に日に私の胃を弱らせた。

 早生まれの聖は0歳児クラスからの入園は申請出来ず、翌年は認可保育園に落ちて育休延長になった。その更に翌年の四月、やっとの入園が叶って仕事に復帰する事が出来た際、長めに育休を取った負い目から、短時間勤務は申し出ずに最初からフルタイムでの復帰を選んだ。

 女性の多い職場のため、復帰してもしばらくは子どもの病気で休みがちになるという事は、私も周囲も想定の範囲内だった。けれど、予定外に夫が単身赴任になり、お互いの実家は日常的に頼れる程の距離には無く、他に頼れる親戚も居ない中、もともとかんの強い子だった聖の登園しぶりが始まった。子どもの病気で休むだけで無く、頻繁に遅刻する有様だった私に対し、周囲の態度は段々と冷たくなっていった。

 結局、育休から復帰して二年もたずに会社を辞め、転職した。それも、正社員ではなくパートとして。

 とにかく朝に焦らずに済むようにと、就業時間を最優先にして仕事を探し、運よく保育園から車で十分足らずという近場の求人を見つけた。それも、前職と同業で経験者優遇、パートは朝十時勤務開始、正社員以外も車通勤OKという、私のために用意されたような職場だった。

 そして収入こそ下がったものの、私は毎日毎日ずっと全力で泳ぎ続けていたような、最低限の息継ぎだけでどうにかやり過ごしていた日々を脱却したのだ。

 けれどそう思えたのも、本当にわずか、ひとときだけの話だった。

「ねえ、聖。ここ、濡れてるよ? お尻、気持ち悪くない?」

 雨上がりの路地でも気にせず座り込む四歳児に声をかけたが、聖はまるで能面のような顔をして黙り込むばかり。

 保育園の朝の会は、九時二十分に始まる。九時前に第二駐車場に着くようにすれば、充分間に合う計算だ。更に余裕が持てるように、それより十分以上は早く到着するよう心がけている。

 けれど当の息子は、第二駐車場から保育園までの、ほんの数百メートルの住宅街の道路わきで度々足を止め、時には近所からの苦情が心配になる程にわめき散らし、あるいは今日のように黙り込む。叱ってもなだめすかしても全く言う事をきかず、無理やり抱っこすれば全力で暴れ、やっとの思いで半分進んだ道を走って引き返すのだった。

 片道数分のはずのこの道が、何と遠い事だろう。せめて誰かにこの気持ちを分かって欲しくて、単身赴任中の夫に愚痴ったが「でも、前と比べると余裕があるんでしょ」と一言で跳ね除けられた。

 確かに以前よりましになったとは言え、それでも限られた時間の中でグズグズと不機嫌をまき散らす幼児の相手をしていると、途方もなく精神力が削られるのだ。新卒から務めていた会社を辞めてまで手に入れたこのわずかな余裕に、どれだけの意味があったのだろうか。きっと、聖を育てている間は、私に真の余裕なんて生まれないのだ。

 ー----こんな時、私の脳裏にはふと、彼女の顔が浮かぶ。

 そして、まだ幼かった頃に一緒に遊んだ彼女の笑顔や、彼女の起こした事件、彼女の実家に起こった出来事の数々、それら記憶の破片が大粒の雨のように次々と降り注ぎ、私の胸中に黒い染みになって広がり、やがてその黒く染められた心の中で、聖を産むまで都合よく忘れていた、いや、忘れたふりをしていた、私の犯した小さく大きな過ちが蘇るのだ。

 そうして、保育園の保護者達だけでなく、犬の散歩中のお年寄りや、自転車に乗った大学生風の男の子、沢山の人達が行き交うこの朝の住宅街で、まるで聖と私、世界でたった二人だけが取り残されたような、何とも言えない孤独感に包まれるのだった。


・・・・・


 事件の第一報は、今でもはっきりと覚えている。

 まだ実家で暮らしていた頃の、土曜日の夕方。夜から出かける予定だった私は、夕方のリビングでくつろいでいた。キッチンカウンターの向こうには、夕食の下ごしらえをしている母の姿。そして、その母が点けっぱなしにしていたテレビからは、夕方のローカルニュースが流れていた。

 その頃の私は、仕事も恋愛も上手くいかず精神的に荒れていて、三十手前で実家に住んでいたというのにろくに家事も手伝わず、その日もソファで横になりただダラダラとスマホでSNSを眺めていた。時折、見るともなしにテレビに視線を移しては、心の中で「しょうもない」と悪態をついていると、商店街の催し物の中継の直後、それまでのんびりした口調だったアナウンサーが突如神妙な声色になって速報を告げた。

 本日午後四時頃、〇〇市〇区にある小港こみなと公園にて「子どもが居なくなった」と男児の母親から110番通報があり、県警署員らが駆け付けたところ、通行人の男性が園内に倒れていた男児を発見。救急搬送されましたが、その後死亡が確認されました。男児の首には絞められたような跡があり、県警は殺人事件として捜査をー----。

 不穏な事件の内容と、そして聞きなれた公園の名前に、母親も夕食の準備をしていた手を止めてテレビに歩み寄り、私達は一気にニュースに釘付けになった。

 小港公園は、海に面した見晴らしの良い立地にある、県内でも有数の規模を誇る公園だ。実家からだと車で一時間以上かかるが、私の姉夫婦のマンションからほど近く、そこで遊んでいる姪っ子の写真が送られてくる事も珍しくない。ヨットハーバーが隣接しているので、晴れた日には色とりどりのヨット達が海に浮かぶそうで、そのヨットを眺めてから遊具で遊んで帰るのが姪っ子お気に入りのお散歩コースなのだと姉が言っていた。

 殺人、それもまだ幼い子どもが手にかけられる恐ろしい事件が姉一家の近隣で起こり、そしておそらく、どこにでも居るであろう普通の親子連れが犠牲になった。考えたくもないが、何かのタイミングが違えば被害者は姪っ子だったかのかもしれない。

 一体、犯人はどこの誰で、そして動機は何なのか。私や母にとって充分にショッキングな事件だったが、更に驚いたのはその翌朝だった。

「ねえ、昨日の事件で殺された男の子、馬淵まぶちさんのところのお孫さんやったよ」

 キッチンで顔を合わせるなり、開口一番に母親が言った。馬淵さんというのは同じ町内の家で、私と年の近い子どもが二人居る。

「え……孫って、お兄さんの方の?」

「ううん、下の千里ちさとちゃんの方よ。お兄さんの方は東京に住んどって、まだ結婚されとらんもん。千里ちゃんが結婚したのはもう大分前やけど、確か一時期は男の子ば連れて帰って来とって……それから、去年くらいからあの近くに引っ越しとったみたいで、それは私は知らんかったんやけど。あんた達、何か聞いとらんかったと?」

 あんた達、というのは、私と姉の事だ。馬淵千里さんは、私の二つ年上で、姉からすると一つ下になる。私達三人は同じ小学校に通い、そして私と姉は三つ離れているので同時期に在籍していたわけでは無いが同じ中学と高校の出身で、千里さんも同じだった。

 けれど私は千里さんとは、個人的に親しいというほどでは無い。近所なので幼い頃にお互いの兄弟姉妹で一緒に遊んでいた時期はあるけれど、私達は色々と合わない部分があったのでそのうち疎遠になった。ただ、母親同士は日常的に交流をしていたし、姉は高校生になっても「ちーちゃん」と呼ぶくらい親しかったのだ。

 母から電話で事情を聴いた姉は、千里さんが近くに引っ越してきていた事は知っていたのでそのうち会おうと話はしていたが、たまにメッセージのやり取りをする程度でもう何年も会っていなかったと説明し、そして事件については今朝同級生から聞いて知った、葬儀会場も近いので参列するつもりだと言った。

 姉としては、被害者の男の子を悼む気持ちはもちろんだが、それ以上に千里さんの事が心配だったようだ。生真面タイプの千里さんは、学生時代は少し浮いた存在で友達も少なく、面倒見の良い姉は昔から彼女の事を何かと気にかけていた。

 葬儀の様子は、姉から聞く前にマスコミを通じて知った。今より報道規制の緩かった当時、マスコミは我が物顔で葬儀会場前に陣取り、被害者家族を容赦無くカメラに晒した。そして、喪服姿で車椅子という、あまりに痛ましくインパクトの強い千里さんの姿が、ニュースやネット記事で次々と公開されたのだ。

 千里さんは葬儀中、息子である海斗かいと君の棺から離れずに泣き続け、錯乱し、最後は足腰すら立たないような状態となり、急遽車椅子が用意されたという話だった。

「海斗、生きて帰ってきてぇ!!」

「もう一度、もう一度お母さんが生んであげるから!!」

「海斗、起きて、海斗、起きなさい!!」

 息子の名前を繰り返し呼びながら亡骸なきがらにすがりつく千里さんの悲話を、マスコミはこぞって報道した。

 しかし、悲劇の母親像は、そのわずか数日後に一転した。

 千里さんが自殺未遂を図り、一命を取り留めた後、自分が息子を手にかけたと自供したのだ。

 事件のあらましは、こうだ。

 事件当日、午後三時半、「公園で遊んでいた息子が居なくなった」と、警察に通報が入った。

 行方不明になったのは、迫田さこだ海斗君、小学校一年生。通報者は、三十歳の母親。

 母子は近所に住んでおり、買い物帰りに公園に寄ったところ、母親がもよおし、遊具で遊んでいた海斗君に声をかけた後、一人ですぐ近くにあった公衆トイレに向かった。そして、数分後に遊具のある広場に戻ったが海斗君の姿が無く、周囲の人々に声をかけつつ探し回り、親切な通行人数名も一緒になって捜索してくれたが見つからず、約二十分後に通報に踏み切った。

 警察が到着してすぐ、公園内を散歩していた近所の男性が、トイレの裏の壁と柱の間に、体操座りのような体勢で挟まっている小さな人影を発見した。男性は最初、誰か子どもがかくれんぼでもしているのかと思ったそうだ。しかし、近付いて見てみると明らかにぐったりしており、顔色も妙に黒っぽい。驚いていたタイミングでちょうど警察官の姿が見えたため、そのまま警察に男の子の存在を告げた。

 それが行方不明になっていた海斗君で、救急車で緊急搬送されたが、搬送先の病院で死亡が確認されたーーーーー。

 ニュースでは、海斗君の首に絞められたような跡があった事と、近隣にある複数の小学校で不審者情報が多発していた事、そして、事件の数日前に海斗君が「知らないおじちゃんに声をかけられた」と言っていたという、母親・千里さんの証言が報じられ、周辺に住む同じ年頃の子を持つ親達は騒然となった。海斗君の小学校とは隣の校区にあたる姪っ子の小学校でも、翌朝からしばらく集団登下校の体制が組まれ、保護者達もそれぞれ見回りに立ったそうだ。

 しかし警察は、最初から母親である千里さんを疑っていたらしい。

 確かに、千里さんの証言や挙動には不審な点がいくつもあった。

 目を離していたのが本当に数分であるのなら、遺体の発見現場との位置関係から考えて、その数分の間に全ての犯行が行われた事になる。第三者がやってきて、遊具で遊んでいる海斗君を手にかけ、そして母親が居たはずのトイレ裏の隙間に隠すという事までやってのけるのはまず不可能に近い。

 また、海斗君を見失ってから通報に至るまでの時間がたったの二十分というのは、不自然な程に判断が早いそうだ。もっと幼い子どもだったり、何か危険を覚えるような状況であるならばともかく、海斗君は小学校一年生、それも普段からよく訪れていた近所の公園で迷子になったのだから、例えば偶然友達に会って少し遠くに行ったのかもしれないし、もしかしたら勝手に家に帰ってしまったのかもしれないと、まずは色々と心当たりを探すはずである、と。

 ただしこれには、一応は説明の付く理由があったようだ。海斗君には軽度の障害があり、小学校ではサポートを必要とする子どもが在籍する特別学級に通っていた。運動好きな明るい子だったらしいが、じっとするのが苦手で、突然叫ぶ、走り出すといった強い衝動性を持っていたそうだ。そのため早い通報に踏み切ったという言い分は、筋が通っているように思える。

 ーーーーーそう、強い衝動性。

 ふと、深い沼に落ちていた私の意識が、目の前の聖に注がれる。

 聖は相変わらず黙ったまま濡れた路地に座り込んでいるが、いつまた突然走り出すか分からない。

 先日、保育園で保護者面談が行われた。担任の先生と私との一対一で行われるその面談は、例年通りなら五分程度で終わるはずが、なぜか予想外に長引いた。去年や一昨年は、まだ三年目や四年目の初々しさの残る先生が担任で、特にこちらからの質問などを用意しなかった事もあり、保育園での聖の様子を聞かせてもらうのがメインで、家では見られないお友達とのやり取りなど微笑ましいエピソードを教えてもらった記憶がある。

 けれど今年の、おそらく三十代後半、私と同世代の担任は、聖君はおうちではどんな様子ですかと、最初こそ雑談交じりの会話だったが、そのうち検診で聞かれるような具体的な質問が続き、私の返事に対しても、「うーん」と小さく呟いたりするばかりだったのだ。

 そして最後に、担任は言った。

「お母さん、聖君の事で何か困ったり心配な事があったら、どうぞ一人で悩まれずに、私にでも誰か他の先生にでも良いので、いつでも言って下さいね」

 その眼差しはとても優しかったが、しかし私の周囲に漠然と浮かんでは消えていた霧のような不安を一瞬で形のあるものに仕立て上げ、そしてしっかりと私の全身を覆ってしまった。

 




中編に続く


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