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親愛なる子殺しへ  後編


 いつから千里さんと話をしなくなったのだろう。

 両親があの町に家を買ったのは、私が幼稚園に入るタイミングに合わせての事だったらしい。だから、私の記憶はほとんどあの家で始まっている。

 幼稚園までは、徒歩ですぐ。坂を下る途中に馬淵家の前を通り、時々そこから千里さんとお母さんが出てくるタイミングと重なった。母親同士が話していくうちに、お互い同じ市の出身で年齢も近いと分かり親しくなっていき、私も千里さんと仲良く手を繋いで園まで歩いた。

 幼稚園を卒園すると小学校は一気に遠くなり、三歳年上の姉と二歳年上の千里さん、二人に連れられる形で登校した。姉の一つ上には千里さんのお兄さんも居て、大雨の日に千里さんの家の車で四人一緒に送ってもらった思い出もある。

 幼かった頃の私達は、お互いの家を行き来して遊んだ。お兄さんにとっては年下の女の子達なんて退屈な存在だろうに、嫌な顔をせずに相手をしてくれ、テレビゲームを一緒にしたり、時には勉強を教えてくれる事もあった。馬淵家は、あの時代の田舎町にしては躾に厳しい家庭で、私達姉妹も千里さんのお母さんから「遊ぶのはいいけど、宿題はしたのかな?」「靴はきちんと揃えましょうね」と度々注意をされていた。けれど、強く叱るような感じでは決して無く、いつも優しく促すような態度で、私も姉もそんな一家に懐いていた。

 特に私が好きだったのは、あの庭だった。うちの実家の敷地は全てコンクリートで舗装されているのに対して、庭いじりが趣味らしいお父さんが手をかけた、四季折々の草花が楽しめる馬淵家の庭。その庭で千里さん達と縄跳びをして、シャボン玉を飛ばして、夏は水鉄砲を打ち合った。

 やがて、歳が近いというだけで意気投合し無邪気に遊ぶ時期は過ぎ、最初にお兄さん、次に姉が中学生になり、そして千里さんも小学校を卒業する頃には、お互いの家を行き来する事は無くなっていた。姉と千里さんは中高と同じ吹奏楽部に入り交流が続いていたようだが、私の方はすっかり疎遠になった。いや、単に私が疎遠になったと言うよりは、千里さんが周囲から孤立していたという表現が正しいのかもしれない。彼女と親しくしていたのは、私の姉を含めてもほんの数人だろう。

 彼女が同学年の間で浮いた存在なのは、以前から薄々気付いていた。いじめられているというほどでは無いが、口やかましい学級委員長タイプというか、つまり煙たがられたり、時には小馬鹿にされていたようだ。それをはっきりと目撃したのは、私が四年生、千里さんが六年生の時の事だった。

 その日、日直の仕事で先生の荷物運びを手伝い、たまたま六年生の教室の前を通りかかった私の耳に、あるクラスの騒動が聞こえてきた。合唱コンクールが目前に迫った時期で、そのクラスも練習をしていたらしいが、どうやら真剣に歌わない男子達に対して指揮者役の女子が怒っている様子だった。

「どうしてちゃんと練習してくれないの!!」

 そう叫びながら廊下に飛び出してきたのは、両目に涙を溜めて顔を真っ赤にした千里さんだった。背後から、追い打ちのように男子の笑い声が聞こえてくる。私達は一瞬だけ目が合い、そして私はなぜか自分でも分からないが、そのたった一瞬で、幼い頃からの千里さんとの思い出全てが台無しになったような気持ちになり、慌てて目を逸らして小走りにその場を去ったのだ。

 そうだ、明確なきっかけはあれだった。あれから、私達は何だか気まずくなって、少しずつ距離を置くようになったのだ。

 あの時私の胸に産まれた感情が何だったのかは、今もぼんやりとしか分からない。おそらく、それまで「頼りになるお姉さん」だった千里さんに対する私の中の幻想が壊れてしまったのだろう。我ながら性根の悪さに呆れてしまうが、思春期に入り始めた私の心は複雑で、この一件以降、それまでどちらかと言うと好ましいと感じていた馬淵家の人たちの生真面目さを、面倒でかっこ悪いものと感じてしまうようになったのだ。

 やがて私は、学校やコンビニで千里さんを見かけても、以前のように声をかけなくなった。


・・・・・


 連日ネットやテレビで取り上げられていた千里さんの話題は、第一回目の公判が行われたあたりから少しずつ見かけなくなり、やがて世間の関心は新しい事件へと移っていった。

 マスコミというのは話題になる目新しいニュースばかりを大々的に取り扱い、事件のその後については全く報道されないか、仮にされたとしても当時の熱量はどこへやら、せいぜい裁判の結果はこうなりましたと表面的にさらりと触れて終わりだ。

 殆どの人が千里さんに対して知り得たのは、障害のある我が子を手にかけた母親であるという事、そして、自分で殺しておきながら芝居を打ったふてぶてしい母親というイメージ像と、保険金が目的だった可能性があるという憶測。あとはせいぜい、千里さん夫婦が一時期別居をしていたのは異性が関わっているのではないかと言う根も葉もない噂や、かと言って、普段の千里さんが息子の海斗君に冷たく当たっていたわけでは決して無く、近所でも仲睦まじい親子だと思われていたという事くらいだ。

 事件の真相と、千里さんの背景を知るのは、ほんの一握り。千里さんや海斗君に関わる人々か、あるいは一方的に流れてくるマスコミのニュースに対し、ただ履いて捨てただけで終わらず、自ら興味や関心を持ち続けた、ごく一部の奇特な人だけだろう。

 私も、実家を出てからは千里さんとの思い出ごと心の奥に仕舞い込み、見て見ぬふりをした。興味や関心が無くなった訳では無く、私にとっては自分の黒い部分と紐付けされていて、直視するのに耐えがたかったからだ。

 けれど、聖を産んで、二年後に夫が単身赴任になり、ままならない日々を送る中、いつしか千里さんの事を考えるようになり、そしてその時間は私の心を侵食するかのように少しずつ増えていった。

 どうして千里さんは、我が子の命を奪ったのだろう。本当に保険金目当てだったのだろうか。子どもの発達障害というのはどの程度のものだったのか、聖と似たところはあるだろうか。千里さんは、そんな子どもの事を愛しきれなくなってしまったのだろうか。もしかしたら、私と聖の行きつく先は同じなのだろうか。

 真実を、知りたい。

 そうして私は、パンドラの箱を開けるように、そして同時に、何かにすがりつくような気持ちで、恐る恐る、けれど引き込まれるかのように、事件について調べ始めた。


 海斗君に保険金をかけていたという話は、事実だった。それも、子どもにかける保険としては少々不自然な、死亡時の受取金が高く設定されたものだ。けれどそれは、旦那さんの親戚が保険会社で働いており、よくあるノルマ稼ぎのためにお願いされ、半ば強引に加入させられたものだったようだ。

 そして、夫婦が一時期別居をしていた話も本当だったが、噂されていたような異性がらみによるものでは、決して無かった。

 二人が別居していたのは、海斗君が幼稚園の年長だった頃の約半年間。海斗君の父親である旦那さんが、我が子に暴力をふるった事がきっかけだった。ただそれは日常的に行われていたのでは無く、「夫が息子に手をあげたのは、誓ってこの時一度きりです」と千里さんは主張している。

 海斗君は、普段はやんちゃで落ち着きが無い子という程度の印象だったようだが、一度癇癪かんしゃくのスイッチが入ってしまうと、物を投げ、大声を出し、壁を蹴り、手加減なしに大人を殴るなど、手が付けられない状態になったという。それは近所の住人や同級生の母親達も証言しており、海斗君の癇癪を一番間近で浴びていた千里さんは、会うたびに体のどこかに新しい痣が出来ていたそうだ。

 真面目で頑張り屋の千里さんは、そんな海斗君に全力で向き合い続けた。そして千里さんと似たタイプの夫も、自分を犠牲にし、我慢に我慢を重ねていたのだ。

 海斗君の父親は、我が子の癇癪が始まった際、いつも自分の体を張って海斗君を包み込むように、壁役に徹していたらしい。近所への迷惑が最小限で済むように、千里さんや海斗君自身が怪我をせずに済むように、と。

 そんな心優しい夫も、ある日、たった一度、たった一度だけ、この理不尽に暴れ回る小さなモンスターに対して、抑え込んでいた感情が爆発してしまった。そのたった一度の反撃のせいで、海斗君は顔面を家具の角に強く打ち、病院で縫う程の怪我を負った。

 そして、夫と同じく優しく真面目な妻は、その一度をすんなり許してしまっては、家族として間違った方向に行くのではないかと懸念した。そうして千里さんは海斗君を連れて実家に身を寄せ、夫という防波堤も失い、海斗君の癇癪に身をさらし続けた。その間、千里さんは不眠に悩むようになり、軽度の鬱と診断され、精神科に通うようになる。

 真面目な夫婦は、別居をしてもきちんと話し合いを重ね、夫はどんな事があっても二度と手をあげないと誓い、妻はそれを受け入れた。そして夫婦は別居を解消するのと同時、心機一転引っ越しをしようと考える。環境が変われば不眠も良くなるかもしれないし、もうすぐ子どもも小学生。せっかくだから、もっと支援の充実した校区に移るのはどうか、と。

 事件当時、海斗君の通っていた小学校は、一般的に言うところの支援学級が設置されているだけでは無く、発達障害や学習障害を持つ子に対し、その子の「困り事」を解消するために個別のプログラムを組んで指導していくという取り組みがされていた。

 当時この制度を導入していたのは、市内にある約百五十の小学校のうち、わずか十校足らず。どこを選んでも夫の通勤時間は長くなってしまうが、我が子のためにと検討を重ね、そしてそのうちの一校、海の近い環境を家族皆が気に入り、引っ越しに踏み切ったそうだ。それが、あの事件の起きた小港公園の近くだった。

 明るい未来に向かって進んでいるように見えた一家だったが、その裏では千里さんの心身に限界が迫っていた。引っ越しを機にパートを始めた千里さんだったが、軽度の鬱を抱えながら育児に仕事にと何とか頑張っていたところ、今度は体に異変が現れたのだ。

 手に力が入りにくくなり、食器を落とすなどの小さなミスが多発。薬の副作用ではないかと精神科の主治医に相談してみたところ、大学病院を紹介され、そこで線維筋痛症せんいきんつうしょうという病気である事が分かった。

 それからの千里さんの日々は、壮絶の一言に尽きる。

 線維筋痛症は体中に激しい痛みが起きる原因不明の病で、根本的な治療は存在しない。痛み止めなどの対処療法でやり過ごすしか無いが、一般的に処方されている薬でカバーするにも限度があるらしい。

 痛みの程度や出現する部位は人それぞれで、千里さんの場合、発症から二月ふたつきもする頃には、シャワーを浴びるとまるで剣山が刺さったような痛みが走り、日常的な動作を行うだけでも節々の関節が悲鳴を上げるようになった。夜も寝返りをしただけで激しい痛みで目が覚め、鬱による不眠と相まって更なる睡眠不足に陥った。パートを続ける事が難しくなり退職すると、今度は海斗君の放課後の預け先だった学童保育の利用条件から外れた。

 仕事を辞めた事でゆっくりする時間が出来るどころか、シャワーの水滴が当たっただけで激痛の走るその体で、やんちゃで手が付けられない海斗君と二人きりで過ごす時間が倍増したのだ。

 千里さんの鬱は、坂を転げ落ちるように悪化した。

 彼女はそんな状況に陥ってもなお、自分の手にタオルで包丁を縛り付けて料理をこなしていたという。病気なら食べ物なんか買ってしまえばいい、父親が作り置きすればいいと、気軽に言う人も居るだろう。けれど、発達障害を持つ子には過敏症を抱える子が多い。海斗君には強い味覚過敏があり、千里さんの手作り料理にこだわった。

 その真面目さと愛情深さは彼女自身を追い詰め、いつの頃からか常に希死念慮きしねんりょに捕らわれるようになった。

 千里さんは事件の後に実家の馬淵家で自殺未遂を図ったが、それはあの時が初めてでは無かったらしい。一度目の自殺未遂は、事件より一か月も前だった。

 日曜の昼下がり、激しい癇癪の後にそのまま昼寝をしていた海斗君の隣で、千里さんは処方されていた睡眠薬と抗うつ剤、全てを一気に飲み込んだ。この時は庭で洗車をしていた夫が異変を察知し、病院に運び込まれて事なきを得たようだ。この時千里さんは医師に、死にたい気持ちが消えない、ハンドバックには常に首をくくる用のゴム管を携帯していると告白している。そして、しばらくの間精神科に入院して療養に専念してはどうかと提案された。

 最初は海斗君の育児があるからと拒否した千里さんだったが、夫と実母が根気よく説得した事で入院を受け入れたそうだ。ただ、せめて海斗君が夏休みに入るまでは一緒に居たい、自分が世話をしたいと言い張り、入院日は少し先に決まった。

 そして、事件は起きた。

 夏休みが目前に迫った土曜日の事、夫は妻の入院に向けて仕事の調節をする為に土曜出勤をしており、千里さんは海斗君と二人で自宅に居た。

 その日は天気が良かったおかげか千里さんの線維筋痛症の症状も軽く、海斗君も落ち着いており、母子二人は久しぶりにのんびりとした時間を過ごしていたらしい。

 昼過ぎ、そう言えばおやつになりそうなものが無いと気付いた千里さんは、自分が入院をしたらしばらく作ってあげられないからと、海斗君が大好きなクッキーを作ろうとしたが、タイミング悪く卵を切らしていた。

「海斗、お買い物に行こうか」

 千里さんとお出かけをするのが好きだった海斗君は、喜んでスーパーについて行った。千里さんの身体にとって、じっとできない六歳児を連れた買い物は楽な作業では無かったが、家に閉じこもっていてもいつ癇癪が起こるか分からないし、気分転換も兼ねるつもりだったようだ。

 買い物帰り、海斗君は大好きな公園で遊びたがった。あまり長い時間は遊ばないという約束で寄ったが、珍しくいていた公園で海斗君は遊具に夢中になった。

「お母さんも来てよ!!」

 海斗君は母親を誘ったが、暑い中立っている事がやっとの千里さんには、やんちゃな男児と一緒になって遊具に登るなんて事は到底できっこない。

「ごめんね、お母さんは遊べないんだよ」

 千里さんはやんわりと断ったが、それまで見せていた海斗君の無邪気な笑顔が一気に曇った。そろそろ切り上げて帰ろうか、そう思いかけたが、ふいに千里さんは尿意をもよおした。

 手のかかる海斗君だが、母親のことが大好きで、千里さんが線維筋痛症と診断されてからは、トイレで起き上がる際に手を貸したりと、自分に出来る範囲で精一杯の面倒を見てくれる優しい一面もあったそうだ。千里さんは、海斗君をいつものようにトイレに誘った。

 けれど、多目的トイレの広い空間の中、なぜか海斗君は扉の前で立ち尽くし、近くまで来てくれない。千里さんはハンドバックを洗面台横の荷物置きに乗せ、用を足した。手すりがあるので自分で立ち上がる事も難しく無かったが、海斗君とのコミュニケーションだと思い、手を貸してとお願いしてみた。

 次の瞬間、海斗君の口から出た言葉に、千里さんは打ちのめされた。

「お母さんは何もしてくれんのに、何で僕ばっか」

 自分の全てを捧げた子育てだった。夜も眠れず心を壊し、この子のために良い学校にと引っ越しもして、全身に走る痛みを抱えてぼろ雑巾のようになりながらも、子どものために頑張った。それは、親としての義務感だけでやってこれた事では無い。

 ーーーーーそうせざるを得ないほど、我が子が愛しかったから。だから、どうにか踏ん張れていた。

 ふらふらと洗面台に向かう千里さんに、海斗君は追い打ちをかけた。

「一緒に遊んでもくれんし、授業参観もおばあちゃんが来るし、お母さんなんかもう知らん!!」 

 そして千里さんが手に取ろうとしていたハンドバックをわざわざ奪い取り、いつものように床に叩きつけた海斗君は、ぷいとそっぽを向いて座り込んでしまった。

 千里さんは、痛む膝を我慢しながらどうにか屈みこみ、決して綺麗とは言えない公衆トイレの床に散らばった荷物を拾った。海斗君のためにと買った卵は割れ、泣き出したい気持ちを抑えつつ、家の鍵、スマホ、ハンドタオルと、次々かき集める。

 -----他に何か忘れてないかな。ああ、あれ、トイレの掃除用具かと思ったら、ゴム管。そう言えば、ずっと仕舞いっぱなしだったな。

 かつて自分の命を絶つためにハンドバッグの奥に忍ばせていたゴム管を手に取って立ち上がった瞳に、洗面台の鏡が映った。改めて見せつけられた自分の姿の、なんと惨めな事か。笑顔はとっくに忘れ、化粧や髪の手入れをする時間も気力も無く、眉間には年齢に不相応な深いしわ。口の端にはおもちゃを投げつけられた時に切れた跡があり、左腕には何度も何度も叩かれて出来た大きな青痣が。こんな日々がいつまで続くのだろう。全てを終わらせたくとも、死ぬ事すら許されない。

 ゴム管を握りしめた千里さんの目の前には、小さく無防備な海斗君の背中があった。


 昔、両親が旅行に出かけた夜、当時一人暮らしをしていた姉がたまたま帰って来て、姉妹二人で慣れない酒盛りをした事があった。

 楽しく飲んでいた最中、姉が何気なく点けたテレビから一家心中のニュースが流れてきて、私は、お酒の勢いも手伝って思わず熱く語った。

「心中なんて信じられない。親が死ぬのは勝手だけど、子どもの未来まで奪うなんて最低だよ」

 そんな私に、姉はほろ酔いの赤い顔をしつつ、けれど冷静な口調でこう言った。

「うーん、自分が死にたいくらい世の中に絶望してるんだから、そんな辛い場所に子どもを置いていく方が可哀そうって思ってるのかも。何にせよ、死のうとしている人達でしょ、正常な判断なんてできっこないよ。」


・・・・・


「ねえ、大丈夫?」

 ふいにかけられた声に驚くと同時、職場に遅刻の断りを入れていない事に気付き、一気に涙が吹っ飛んだ。慌ててスマホを見ると、九時半を少し過ぎた頃。始業時間まではまだ少し余裕がある。良かった、最悪の状況は免れた。

 改めて声の方に向き直ると、立ち話中だった二人組が、いつの間にかすぐ間近まで来ていた。

 小柄でぽっちゃりした方の人は、確か双子のお母さん。もう一人、金色に近い髪色をしたちょっと派手で背が高い人は、普段三人の子どもと登園していて、たまに小学生くらいの子も連れている、子だくさんの人だ。

「ごめんね、おせっかいかもしれないけど、体調が悪いのかなって」

 金髪さんが、私の顔を覗き込みながら言った。その横で、ぽっちゃりさんが聖に話しかける。

「ぼく、お母さん大変みたいだけど、保育園まで歩けるかな?」

 聖はその問いには答えず、慌てて私の背中に隠れた。

「ごめんなさい、この子……」

 発達に難があって。そう言いかけた言葉を飲み込み、「人見知りで」と置き換えた。それから自分に気合を入れるように立ち上がり、どうにか笑顔を造る。

「体調は大丈夫です。その、何ていうか、ちょっと疲れちゃってただけで」

 私の言葉に二人は顔を見合わせ、うんうんとうなずいた。

「ああ、分かる分かる。子育てしてたら、しんどくなる時あるよね」

「私も、双子がこの子くらいの時はよく一人で泣いてましたもん」

 ああ皆も同じなのだと安心するのと同時、どこか妬ましい気持ちを抱いている自分に気付く。この人達は、双子や子沢山で大変かもしれない。けれど、きっとその子達は普通に育って、普通に大人になっていくのだ。

 ふいに、千里さんと海斗君の顔が脳裏に浮かんだ。-----それから、あの事務の先生も。ああ、そうだ、勝手にいじけて殻に籠るのは、私の昔からの悪い癖じゃないか。

 私は聖の手を取って、二人に「ありがとうございました」と、お礼を告げた。作り笑いでは無く、私の本物の笑顔で。


 私は、まだまだ考える。

 千里さんには、こんな風に声をかけてくれた人達が居ただろうか。

 誰かが、あの母子おやこを救う事は、出来なかったのだろうか。

 ほんの小さなきっかけで、二人の未来は変わったのかもしれない。

 私は、まだまだ考える。

 私達の未来だって、きっと、小さな積み重ねで変える事が出来るのだ。

 自分の過ちを、繰り返さないように。

 そして、私が、全ての母親が、彼女と同じ道を辿たどらずに済むように。

 私は、今日も考える。 

 親愛なる、子殺しの事を。






 おわり

 

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