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開高健の本を読み終えた。心にぽっかり穴があいた。これからの目標をたてる。

開高健の書いた小説とエッセイ、対談集を読みおえた。2~3年ほどかかっただろうか。まいにちまいにちエブリデイ開高健の文章にふれ読んでいた。

最後の文章を読みおえた瞬間、何かが心からスッとぬけた。もう開高健のあたらしい文章を読めないのだな。風の又三郎が去っていきそうな木枯らしがビューと心にふいた。結婚を約束し、5年ほど付き合っていた彼女と別れたような寂しさを感じた(そんな経験はない)。

開高健の本を読みおわってから、ほかの本を読む気がなくなった。まったく、ちっとも、ネバー読む気がむくむくと勃起しなくなった。開高健がオモチロイといった小説はメモしており、読もうとは思っている。しかし本を読む気にならない。

ネットで検索して、ワンクリックで買えるというのにワンクリックする気にならない。ひとさし指がフリーズしてしまったようだ。ひさしぶりに本屋にもいった。本屋にはいった瞬間。大便をしたくなった。スッキリしてから話題の本コーナーや小説コーナーをめぐり、大便をいたしたあと洗った手にとり、ペラペラとページをめくるが、文字が読んで読んでとワーとさわがない。

夕暮れときになると、開高健をきどってウォッカをすすりつつ、開高健の本をペラペラと流しよみしたり、ブランデーをそそぎ自殺に失敗した老人のように背をまるめ、肩をせばめ「ナーダ、ナーダ」とつぶやいてみたり、まとめサイトを巡回したり、漫画を読んだりしながら、ジンやラム、カクテルをちゃんぽんで飲み、クモの糸がぷつんと切れるように眠りにつく、そんな怠惰で頽落、非生産、非本来、ぐーたら、やる気のない毎日をすごした。

アカンがな。

ダメ人間境界線に片足をつっこんでいるが、このままではダメ人間境界線にルパンダイブしてしまう。

開高健を読みだしたキッカケはなんだ。そうだ、文章上達系の本を読んでいたときに開高健の文章にであったぁ~。文章を上達させたいという目標を思いだした。

開高健の本を読み、酒や料理、釣り、読書、批評などの開高健イズムというか、開高健哲学にピサの斜塔のように傾倒しすぎて目標をわすれていた。

開高健のように、まるで眼で見ているような文章、まるで口で食べているような文章、まるで鼻で香りをかいでいるような文章、つんつん臭い匂いが勃起してくるような文章を書きたかったんだ。

Webライターのお仕事をしている。クライアントさんに文章を提出すると、修正箇所の赤マルがたくさん咲いてかえってくる。赤マルは百花繚乱、百花斉放。それだけ修正する必要がある文章しか書けていないわけで。

アカンがな。

「 名文を書くには、名文を読め 」と言われている。開高健もたくさんの本を読み、血肉にし名文を書いてきた。開高健がオモチロイといった小説やエッセイを読まなければと私は決意した。

そして赤マルがすくない文章。すこしでも、ちょっとでも、1mmでも、開高健の爪先の白いカスほどでも開高健のような文章を書くにはどうしたらエエのか。みっちりお尻の穴につまった雲胡をだすときのように「うんうん」とかんがえた。

丸谷才一が書いた『 文章読本 』がある。『 野火 』とシェイクスピアを参考にレトリックを見事に解説している文章読本である。開高健の文章でレトリックを解説する文章を書くのは勉強になるとかんがえた。ふと思いだした。斎藤美奈子著『 文章読本 』にて、へんな文章を引用すると、へんな文章読本になると書かれていた。へんな文章を引用するわけにはいかん。開高健の評判までさがってしまう。レトリック解説はすこし棚上げしておこう。

開高健のエッセイを写経したことがある。いまは写経をしていない。

レトリックを考えながら、開高健の小説を3冊ほど写経してみようと思う。

本の読み方、感じ方、眼のつけどころ、切り口などなど、開高健の文章の批評は参考になる。

本を読んでおもしろい、おもしろくない、一言でいえ、どこがおもしろか一言でつけ、と書いていた開高健。開高健が本や文章、小説の批評を書くと、キラリと冷涼、チクチクと綿密、あたたかい眼で孫を見まもる文章を書き、解説している。そんな解説を読んでいると本や小説、文章を読んでみたいと思わされる腕力がある。紹介した本やエッセイを読みたいと思わせる文章を書けるようになれば、しめたものである。ブログやWebライターの文章にいかせると思う。どのようにして開高健のような批評文を書けるようになるのか。

開高健がだいすきなジョージ・オーウェル。

『 一九八四年 』は、ジョージ・オーウェルの作品ではある。しかし開高健は、失敗作だと書いている。なぜ、どこが、失敗作だったのか、このあたりを徹底的に洗いだしエッセイにまとめてみたい。文芸批評を分析することで、開高健の考え方、視方、サムシングが見えてくるかもしれない。

これからやることは、「名文を読む」「小説を写経する」「批評を分析する」

やることはたっぷり、時間は有限。グダグダしているヒマはねぇ

そして2年以上放置している、小説を書く!

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