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つないだ手と、つなぐ命

2019年8月下旬、私は腰痛が悪化し歩けるのがやっとだった夫を、カルガリーの救急病棟へ連れていった。立っていても座っていても襲ってくる激痛に、震えて脂汗を流す夫を見ている事しかできない私は、いつまでも待たされる事に苛立っていた。2時間以上は待っただろうか。ようやく診察室に通され、それからさらに医師が現れるのを待った。夫は以前 鼠径部のヘルニアの手術を受けたことがあるので、椎間板ヘルニアなど腰の損傷を疑われたが、その場でレントゲンなどの検査も受ける事ができず、下半身が麻痺して便や尿が漏れるような事があったら、その時はまた救急病棟に来るようにと言われた。つまり、神経が挟まってそのような危機に陥らなければ、エマージェンシーを煩わせるなという事だ。カナダはアメリカと異なり、ユニバーサルヘルスケアといって、国民の誰もが最低限の医療を保証されるという制度があることにはあるが、その状況はかなり 逼迫しており、救急病棟では命の危険がないと見なされれば4、5時間待ちなど当たり前なのだ。結局私達は強い痛み止めの薬をもらい、レントゲンやMRI検査をして欲しいなら、主治医を通して予約してくれと指示された。やむなく病院を立ち去る時、夫が私の手につかまって歩いた。「救急病棟のデートなんてねえ。」50を過ぎた夫だが、その弱々しい歩き方は、彼を10歳も20歳も老けさせたように見えた。

その5年前の夏、私達家族は里帰りで名古屋を訪れていた。久しぶりに過ごした日本の猛暑のせいか、幼い子供達を連れて忙しい予定を組んでしまったためか、私達夫婦は疲れてきていた。日本語が多少できる夫も、実家での私達家族の日常会話や、親戚や友人が集まった時の会話にはついていけず、少なからず悔しいというか寂しい思いをしていたようだった。カナダ人と結婚して異国の地で暮らすということは自分の意思で決めた事だったけれど、だからと言って、日本の家族や友人、食べ物や暮らしが恋しくない訳ではない。私は何年かカナダで暮らしているうちに、夫より自分の方が、母国を離れるという大きな犠牲を払っているのだと、心のどこかで思い始めていた。お互いの苛立ちが言葉や態度に出てしまい、ある日夫と手を繋ごうと歩み寄った時、私の手は見事に弾き返された。あまりにあからさまだったので、私はその後しばらく、拒否されて傷つく事を恐れ、夫と手を繋いだり腕を組んで歩けなかった。もともと、歩くペースの違う私達は結婚してから、特に子供が生まれてからは、ぴったりくっついて歩む事は少なかったが、この事があってから、夫婦で手を繋いで歩くという行為について、少し考えさせられた。

子供達の反抗期やスケジュールに振り回され、時にしつけや教育方針で衝突しながら、何とか息子が10歳になろうとしていた時に、前述の「救急病棟デート」は起こった。夫の健康が損なわれて初めて、私達は手をとった。このあと、私達は3度もこの「救急病棟デート」を繰り返す事になった。私に伸ばされた手は、彼の命を繋ぐため、医師、看護師、専門医等に次々とバトンタッチされていき、彼は彼の、私は私の闘いが始まろうとしていた。

To be continued....

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