見出し画像

【高3女子】起立性調節障害になったけど母のサポートで治った話

高校3年生、18歳のときに私は起立性調節障害と診断された。同時に、ぎっくり腰のようなひどい腰痛にも悩まされていた。
原因は、大学受験勉強の疲れやストレスによる自律神経の乱れだ。

幸い、私の体調が悪化したのは指定校推薦の試験の後で合格も貰っていた。合格をもらった後、気が緩んだのか、急に体調が悪くなった。朝はとても体がだるくて起きられず、立ち眩みもするので学校を休む日が続いた。病院に行くと、起立性調節障害と診断された。

一週間ほど学校を休み、次の週は昼から学校に行く日を増やした。しかし、学校に行くとふらふらして体がしんどいし、受験生なので特に学校で楽しいことも無かった。指定校で大学に行かせてもらっているので仕方のないことだが、まだ合格を貰っていない友達に気を使わなければならない精神的ストレスもあった。また、合格を貰ってすぐ学校を休み始めたので、友達にさぼりだと思われてそうで怖かった。私は憂鬱になり、学校に行きたくないという気持ちが大きくなっていた。

そんな感じで学校に昼から行ったり行かなかったりを繰り返していると、部活の顧問から心配の電話がかかってきた。心配のっていうかお怒りの電話だった。一度は心配してくれたものの、「指定校で先に進路が決まっているのに残りの学校生活頑張らなきゃいけないだろ、体調管理もしっかりしろ」というものだった。この顧問の励ましの言葉が私にとってはさらにストレスになり、自己嫌悪に陥った。

それからは、多少つらくても学校に行かないと顧問の目が怖いし、頑張って学校行くようにした。ある日、やっぱり教室で座っているだけでもしんどくて保健室に行った。保健室の先生にあまり学校に行けていないことを話すと、涙があふれてきて、「残りの学校生活をちゃんと過ごしたいのに体調が悪くてつらい」と話した。この話を担任に伝えていいか聞かれ、伝えていいというと担任だけでなく顧問にまで伝わっていたようだった。廊下で顧問にあったとき、「まあ、ちょっとずついけよ」と優しく声をかけてくれて少し救われた気がした。他の先生にも、「誰もさぼりやと思ってないからな」と励まされた。

どうしたら以前のように学校に通えるようになるかを考えた結果、22時に寝て5時に起きるという方法を思いついた。私は朝起きてから2時間ぐらいは動けなかったので、5時に起きて7時に準備し始めることで1時間目から授業に出れるようになった。私はそれから、すべての授業に出て無事卒業できた。

朝から学校に通えるようになるまで3か月ほどかかった。それから春休みを挟んで、大学生になるころには起立性調節障害も治った。私が不登校にならずに朝から通えるようになったのは、すべて母の支えのおかげだった。私が学校に行くのが嫌にならないように、昼からでも学校に行かせるために仕事を休んでくれたり、22時就寝5時起きの作戦を立てて母も早起きして私を起こしてくれたり、自転車に乗るのは危ないと送り迎えをしてくれたり、私が学校に行きたくない日は許してくれたり、自律神経や腰痛を治すために整骨院に通わせてくれたりした。

いつも学校を数日休んでしまったら学校に行きたくなくなっていた私を不登校にしないために支えてくれる母はすごい。大学生になってから親の大切さを身に感じます、、、。

もし、起立性調節障害に悩んでいる方が見てくれていたら「22時就寝5時起床作戦」やってみてください。つらいけど1番効果ありました!
皆さまが健康で過ごせますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?