バセドウ病再燃
2022年の夏は何とも言えない暑さだった。
マスク生活も3年目でなれているはずなのに、なんだか呼吸が苦しくて、汗をかく。夜中もすごく疲れているのに眠れない。やっと値付けたと思ったら、クーラーのタイマーが切れた瞬間に汗びっしょりで目が覚め…熟睡ができない日々が続いていた。
通勤の際は10分程度の平たい道を歩いて駅から会社のビルへ到着し、エレベーターに乗った瞬間滝汗と息切れで倒れそうになっていた。
暑い。これが更年期、ホットフラッシュというものなのか?
何とも言えないつらさを自分の年齢と照らし合わしていた。
2022年9月24日。
連休中日は甲状腺専門医、伊藤病院への通院日だった。
2020年2月、自己免疫性肝炎を患っていることがわかる直前に向かった時に再燃が認められ、ヨウ化カリウム丸を飲みはじめてから症状は安定していた。
肝臓への負担も少ないこの薬が効いていたが、前回6月の通院のころから、TRAbの数値が少し上がっていた。ただ、その他の数値は極めて安定していることから様子をみていた。
「6か月後でもいいですね。」
前回の通院の際、先生は次回の予定をこう提案したのち、
「いやTRAbが心配だからやはり3か月後にしよう」
と決めたのは、医者の鋭い感だったのかもしれない。
いつもお決まりの採血結果待ちの1時間の表参道散歩。この日は霧雨で暑くないにもかかわらず、少し歩くと動機と汗で苦しくなり早々に病院の待合室に戻ることとした。
診察室に入った瞬間先生は言った。
「つらかったでしょ。」
数値はとても悪化していた。
ヨウ化カリウム丸はこのように突然聞かなくなることがあるらしい。私はまさにそれだった。
「妊娠の希望はありますか?」
先生は聞く。
年齢的にも出産のリミットが近づいているのはわかっていた。幼いころから家族を持つことが夢で、憧れではあったけれど、自分の体調を考え勇気がでないままの日々が続いていた。
そこに来て問われた質問。
咄嗟にこたえるには難しすぎる問いだったが、私は
「大丈夫です」
と応えた。
バセドウ病の定番薬メルカゾールは妊娠によくないらしい。希望する場合はもう一つの薬にするようだが、それは肝機能への副作用が大きいらしい。
もう子供は無理。
頭の中をその答えがグルグル回った。
そして肝臓の数値も落ち着いていることから、メルカゾールの治療を開始することが決まる。
2022年9月24日〜
メルカゾール*2+ヨウ化カリウム丸*1…
小学生の時に初めてバセドウ病にかかった時以来のメルカゾール。
こんなにバセドウ病が苦しかったことは覚えていない。ただ、徒競走でいつもリレーの選手だった私がクラスの中でも最後のほうの記録しか出せなかった屈辱だけが記憶にある。
そしてその直後バセドウ病が見つかった。小学校2年生~5年生くらいまで体育の授業はずっと見学していた。
今回もあの頃と同じく激しい運動はやめるように言われた。
頑張った幼いころの私。体育大好きだったのに、いつも一人で見学していた。そして落ち着いて薬をやめ体育の授業に復活するとすぐにリレーの選手となった。
バセドウ病は身体機能を大きく低下させることは、当時の私が一番教えてくれる。
次回の通院は2週間後。しばらくの間は白血球が増える副作用が出やすいこと、発熱する場合があるからその場合は現在の状況も鑑みて連絡することなど細かい注意が伝えられた。
「仕事は?」
ストレスが大きな影響も占めるらしいことも伝えられると、昨今の会社の、いや、正しくは部署周辺のドタバタ劇を思い出し、肉体的というよりは身体的なことがあることを言おうとして、でも心に止めた。
PC仕事、テレワークもしやすいことから、気を付けることだけ答えた。
診察室を出ると看護婦さんが「必要あれば診断書出せますからね。」とさらに念を押した。
休むべきなのか…心は右に左に揺さぶられた。しかしそれ以上に思い浮かんだのは「家族の風景」だった。
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