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自分に対する期待と評価

「周囲からの評価と咲夜ちゃんの中での自己評価って意外とずれてるんだね」

昨日の会話の中で、私が自分をどう思っているか話した後に言われた一言である。

その自覚はかなりある。私の場合、自己評価はどうしても低くなりがちだ。

そうなってしまう要因は「自己期待値の高さ」であると分析している。


私は完璧主義的な思考をもっている。

出された課題は何の間違いなくやりたいし、やり始めたことは自分が決めたレベルに達するまではやり続けたい。人からの期待には100%かそれ以上のもので応えたいし、誰とでも仲良く過ごせて信頼できて好かれる存在でありたい。

もちろん、そんなことできるわけないと成長と共に学んではいると思う。挫折と呼ばれるような経験もした。しかし、幼少期や児童期に、その「完璧」が私にはできた。その培われた完璧にできる感覚を、未だに私は忘れられないのだ。

学校の課題やテストはどうなったら「完璧」であるかが明確だが、大学でのレポートや人間関係は基準が不明確だ。不明確だと、周囲にいる私の凄いと感じる人の成果や人間関係が私の「完璧」の基準になる。


周りは私にそこまで期待していない。たぶん、わかってはいる。それでも、私は私にOKを出せない。理解できるが受け入れられないのだ。

それはまぁ、自己評価は下がる一方である。私ってネガティブでめんどくさいやつだなぁと思う。


結果、自分がいっぱいいっぱいになって、どんどんしんどくなってしまった。


落ちるだけ落ちた後、自分がどうしたらしんどくならないかを考えた。それは、「なんでもOK」というやり方だ。

ちょっとしたことでもやれば偉いし、やりたくないことをやらないと決めた私も偉い。

誰かと関わって物事を進める時は、自分の役割について、自分が求めるレベルの4割できたら、相手に確認する。全然できない時は、できないと伝えてられればOK!

という具合である。


私は「自己期待値を下げる」ことで、少し楽に過ごせるようになった。


とてもいい変化のように思うが、「自己期待値を下げる」ように「意識」しただけで、根本は全然変わっていない。

自己期待値は高いし、できない自分に対する自己評価は低い。


今の私と関わっている人には、私が自分のことを低く評価しているようには見えないのだと思う。最初のセリフの「意外と」というのは、そういうことだ。

自分を分析して文章にしだすと、どんどんネガティブな内容になっていく感覚があってあまり好きではない。私はもっと楽しくて良いことを書けると思ってしまう。それができない自分が嫌になる。

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自分のネガティブな部分を、嫌な気持ちと向き合って言語化できた自分素晴らしいよね!!

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そんな風にまとめて、この投稿は終わりにしようと思う。

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